※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和17年(1942) | - | 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 平支店四倉出張所を開設。 | 七十七銀行のあゆみ | |
9月 | 岸信介商工大臣、石炭増産奨励のため入山、古河、隅田川の各炭礦に来山し激励。 | いわき市の歴史 | |
昭和19年(1944) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 磐城炭礦株式会社と入山採炭株式会社の両社が合併し、常磐炭礦株式会社が新発足。 | いわき市の歴史 | |
昭和20年(1945) | - | 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月10日 | 米軍による1回目の空襲。市の西部、585戸が被災。 | いわき市の歴史 | |
5月 | 東北貯蓄銀行の営業権を譲り受ける。 | 七十七銀行のあゆみ | |
7月14日 | 伊藤秀吉氏が平市長に就任。 | いわき市の歴史 | |
7月26日 | 平第一国民学校に1トン爆弾投下され、付近1517戸被災。 | いわき市の歴史 | |
7月28日 | 平中心部が空襲を受け、市の南部188戸が被災。 | いわき市の歴史 | |
7月 | 平支店、戦災により店舗を焼失。平市五町目6番地 諸橋久太郎氏方に仮営業所を開設。 | 七十七銀行のあゆみ | |
10月 | 平支店、平市四町目26番地 猪狩庄平氏方に仮営業所を新築移転。 | 七十七銀行のあゆみ | |
昭和21年(1946) | - | 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 小名浜支店江名出張所を開設。 | 七十七銀行のあゆみ | |
昭和22年(1947) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』670号を復刊する。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 鈴木辰三郎氏が平市長に就任。 | いわき市の歴史 | |
4月 | 平商工会議所発足。 | いわき市の歴史 | |
8月 | 昭和天皇御巡幸。常磐炭礦 磐城礦業所へ。 | いわき市の歴史 | |
昭和23年(1948) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』677号をもって廃刊する。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 資本金を100万円に減資。 | 七十七銀行のあゆみ | |
6月 | 氏家清吉が頭取に就任。 | 七十七銀行のあゆみ | |
9月 | 資本金を5500万円に増資。 | 七十七銀行のあゆみ | |
11月 | 平支店、平市三町目13番地に仮店舗を新築移転。 | 七十七銀行のあゆみ | |
昭和24年(1949) | - | 【竜門社】政府より曖依村荘が無償返還されることになる。財団法人社会教育協会に依頼して、機関誌『竜門雑誌』を継承する機関誌『青淵』を創刊する。曖依村荘全敷地の約3分の2を売却する。 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 平支店四倉出張所を四倉支店に昇格。 | 七十七銀行のあゆみ | |
昭和25年(1950) | - | 【渋沢敬三】ユニバーサル広告社社員(~1951年)。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 平市役所庁舎落成。 | いわき市の歴史 |