(株)横河橋梁製作所『横河橋梁八十年史』(1987.11)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正9年(1920) - 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
3月15日 株式市場、株価暴落で混乱(戦後恐慌) 社外
5月15日 鉄道院を鉄道省に昇格 社外
7月15日 株式第2回払込み(1株につき5円)を実施、払込資本金70万となる 社内
11月 56歳―日本工業倶楽部会館竣工。 横河民輔
12月23日 岩崎盾夫取締役就任 社内
12月 56歳―株式会社横河機製作所を設立(横河計器研究所の発展、横河電機(株)の前身) 横河民輔
- 東京上野で日本初のメーデー。 社会
- 第1回国勢調査。 社会
- 国際連盟第1回総会 社会
- 日本工業倶楽部鉄骨 年間主要工事
大正10年(1921) - 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 渋沢関係略年譜
4月12日 度量衡法改正公布(メートル法を基本とする) 社外
9月 57歳―農商務省工業品規格統一調査会委員に任命(~1935年) 横河民輔
11月4日 原敬首相、東京駅頭で刺殺される 社外
12月13日 日英米仏四国条約調印、これに伴い日英同盟廃棄 社外
- ワシントン会議開催(~1922年)。 社会
- 日英同盟廃棄 社会
大正11年(1922) - 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 渋沢関係略年譜
1月 新東京工場を芝浦に開設し、千田町の工場は分工場とする 社内
2月6日 ワシントン会議で、海軍軍備制限条約調印 社外
3月30日 未成年者飲酒禁止法公布 社外
4月11日 本社を東京市芝区月見町1丁目7番地(東京工場内)に移転 社内
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