※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正元年(1912) | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 店舗異動・開設=10・10久留米、11・15柳井各支店 | 当行 | |
大正2年(1913) | - | 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 本店支配人八代則彦「布哇及び北米太平洋沿岸視察報告」を提出 | 当行 | |
9月22日 | ☆住友肥料製造所を開設 | 一般(☆印は住友関係) | |
12月1日 | ☆住友総本店、東京販売店を開設 | 一般(☆印は住友関係) | |
- | 店舗異動・開設=9・16東京支店深川出張所 | 当行 | |
大正3年(1914) | - | 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月27日 | 在阪傭員実務競技会規則を制定(大正8・3・21全国四地区に拡大) | 当行 | |
7月28日 | 第一次世界大戦勃発(8・23日本、対独宣戦布告) | 一般(☆印は住友関係) | |
8月19日 | 北浜銀行支払停止 | 一般(☆印は住友関係) | |
- | 店舗異動・開設=2・1門司支店下関出張所 | 当行 | |
大正4年(1915) | - | 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 | 渋沢関係略年譜 |
8月30日 | 東西大銀行、はじめて貸出利率協定を結ぶ | 一般(☆印は住友関係) | |
9月13日 | 中田錦吉、常務取締役を辞任、湯川寛吉、常務取締役に就任 | 当行 | |
10月 | ☆住友私立職工養成所を設立 | 一般(☆印は住友関係) | |
12月4日 | 東京株式相場暴騰(大戦景気はじまる) | 一般(☆印は住友関係) | |
12月10日 | ☆住友鋳鋼場を株式会社住友鋳鋼所に改組 | 一般(☆印は住友関係) | |
- | 店舗異動・開設=10・1名古屋支店、支店昇格=9・13下関出張所 | 当行 | |
大正5年(1916) | - | 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月7日 | 銀行団、露国第1回大蔵省証券五〇〇〇万円を引受 | 一般(☆印は住友関係) | |
3月7日 | 銀行条例改正公布(大蔵大臣の監督権を強化、7・1施行) | 一般(☆印は住友関係) | |
3月31日 | ☆鈴木総理事、中国・満州・朝鮮を視察(6月帰国) | 一般(☆印は住友関係) | |
4月26日 | 本店支配人植野繁太郎、中国へ出張(同地進出を調査、6・13帰国) | 当行 | |
9月1日 | 工場法施行 | 一般(☆印は住友関係) |