(株)住友銀行『住友銀行八十年史』(1979.12)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正8年(1919) - 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 渋沢関係略年譜
- 店舗異動〈海外〉営業移管=12・31シアトル支店(シアトル住友銀行へ営業を引き継ぎ、名義だけ存続)〈国内〉開設=4・21東京支店新橋、5・1京都支店西陣各出張所 当行
大正9年(1920) - 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
3月15日 株価暴落、反動恐慌はじまる 一般(☆印は住友関係)
3月20日 資本金を七〇〇〇万円に増加決定(新株40万株のうち30万株を株主に割り当て、2万株を縁故割り当て、8万株を公募) 当行
4月7日 大阪の増田ビル・ブローカー銀行、破綻 一般(☆印は住友関係)
11月1日 ☆住友鋳鋼所、住友製鋼所と改称 一般(☆印は住友関係)
11月26日 本店に業務研究会設置 当行
12月10日 ☆住友電線製造所、米国ウエスターン・エレクトリック社および日本電気と提携し、株式会社に改組 一般(☆印は住友関係)
- 店舗異動〈国内〉支店昇格=4・1新橋・小倉各出張所 当行
大正10年(1921) - 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 渋沢関係略年譜
2月1日 本所貯金銀行の営業所を買収(本所出張所を開設) 当行
2月2日 常務取締役湯川寛吉、大阪手形交換所委員長に就任(大正14年10月まで) 当行
2月26日 ☆住友合資会社設立(資本金一億五〇〇〇万円)、住友総本店の事業を継承、代表社員・社長住友吉左衛門友純 一般(☆印は住友関係)
3月31日 「支配人ノ務メ」(吉田常務口述)を作成 当行
4月14日 貯蓄銀行法公布(11・1・1施行) 一般(☆印は住友関係)
5月19日 ☆住友林業所開設 一般(☆印は住友関係)
5月 ☆私立大阪住友病院設立(7月開院) 一般(☆印は住友関係)
7月20日 田中興業銀行の株式の過半を取得し、当行経営下におく 当行
12月6日 ☆住友家、茶臼山邸敷地と茶臼山を公園・美術館建設用地として大阪市に寄付出願 一般(☆印は住友関係)
- 店舗異動〈国内〉開設=5・11浅草、8・1日本橋(大阪)各支店、2・1東京支店本所、7・1広島支店東、8・1川口支店富島各出張所、支店昇格=1・4天満、3・1西陣、4・15深川各出張所 当行
大正11年(1922) - 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 渋沢関係略年譜
2月28日 投機商・石井定七破綻、株式・米穀市場に衝撃 一般(☆印は住友関係)
4月21日 信託法・信託業法公布 一般(☆印は住友関係)
PAGE TOP