※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治42年(1909) | - | 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 | 渋沢関係略年譜 |
10月23日 | 高橋総裁退任 | ||
11月29日 | 山本達雄、総裁に任命される | ||
明治43年(1910) | - | 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
4月2日 | 日本勧業銀行法の改正により、産業組合に対する無抵当貸付、預金業務、担保付手形割引および短期貸付等を認められる | ||
7月1日 | 手形割引、短期貸付および預金業務開始 | ||
7月20日 | 勧業大券の公募を初めて行なう | ||
明治44年(1911) | - | 【渋沢栄一】日露協会評議員。維新史料編纂会委員。財団法人済生会設立、顧問・評議員。勲一等に叙され瑞宝章を授与される。〔71歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月23日 | 日本勧業銀行法改正され、貸付目的の制限撤廃される | ||
7月29日 | 公称資本金2,000万円へ増資 | ||
8月30日 | 山本総裁退任 | ||
12月27日 | 志村源太郎、総裁に任命される | ||
大正3年(1914) | - | 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月11日 | 公称資本金4,000万円へ増資 | ||
12月15日 | 株式会社勧業債券月報社設立 | ||
大正7年(1918) | - | 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月9日 | 大阪支店開設 | ||
大正9年(1920) | - | 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 蚕糸業救済貸付開始 | ||
大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
4月21日 | 日本勧業銀行法の改正により、公共団体に対する短期貸付、府県郡市のための金銭出納の取扱い、農工銀行の存在しない府県に対する農工漁業者10人以上連帯無抵当定期貸付等を認められる | ||
4月22日 | 「日本勧業銀行及農工銀行ノ合併ニ関スル法律」公布 | ||
9月1日 | 山梨・佐賀県両農工銀行と合併 以後12年までに19農工銀行と第1次合併を行なう | ||
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
10月7日 | 志村総裁退任 梶原仲治、総裁に任命される | ||
12月15日 | 日本勧業証券株式会社設立 | ||
大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月12日 | 台北支店開設 台湾に対する直接貸付開始 | ||
7月1日 | 公称資本金9,400万円へ増資 |