※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和18年(1943) | - | 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 貯蓄銀行業務の兼営を認められる | ||
昭和19年(1944) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 割増金付定期預金の取扱い開始 | ||
9月18日 | 神奈川県以下の5農工銀行と合併 | ||
10月15日 | 第1回福券発行 | ||
昭和20年(1945) | - | 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 空襲により仙台支店はじめ36店舗被災(8月まで) | ||
2月10日 | 預金業務、無制限となる | ||
3月23日 | 軍需金融特別施行令の施行により、無担保の貸付・債務保証・手形引受け、為替業務等を認められる | ||
7月16日 | 勝札発行 | ||
10月29日 | 第1回宝くじ発行 | ||
11月10日 | 戦後第1回の勧業債券公募 | ||
昭和21年(1946) | - | 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 | 渋沢関係略年譜 |
3月7日 | 日本勧業銀行本店行員組合結成 | ||
3月11日 | 西野総裁退任 | ||
3月12日 | 西田太郎、総裁に就任 | ||
昭和22年(1947) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』670号を復刊する。 | 渋沢関係略年譜 |
3月8日 | 日本勧業銀行行員組合総連合会結成 | ||
5月23日 | 公称資本金3億円へ増資 | ||
7月8日 | 支店長会議を開き、預金吸収の積極化と融資の短期化を中心とする当面の経営方針を明らかにする | ||
10月18日 | 日本勧業銀行従業員組合結成 | ||
昭和23年(1948) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』677号をもって廃刊する。 | 渋沢関係略年譜 |
9月2日 | 再建整備計画認可される | ||
10月1日 | 外国貿易決済事務の取扱い開始 | ||
11月1日 | 増資により資本金10億円となる |