(株)日本勧業銀行『日本勧業銀行史追録 : 創立70周年から合併まで』(1976.07)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正10年(1921) - 【渋沢栄一】排日問題善後策を講ずるため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 渋沢関係略年譜
9月1日 山梨・佐賀県両農工銀行と合併。以後大正12年迄に19農工銀行と第1次合併を行う。
大正11年(1922) - 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 渋沢関係略年譜
12月15日 日本勧業証券株式会社設立。
大正12年(1923) - 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 渋沢関係略年譜
1月12日 台北支店開設。台湾に対する直接貸付開始。
7月16日 第1回割増金付割引勧業債券発行。
大正13年(1924) - 【渋沢栄一】日仏会館開館・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 渋沢関係略年譜
9月30日 第1回復興貯蓄債券発行。
昭和2年(1927) - 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 渋沢関係略年譜
3月30日 銀行法公布(昭和3年1月1日施行)。
5月31日 千葉県農工銀行と合併、以後昭和5年までに8農工銀行と第2次合併を行う。
昭和5年(1930) - 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。〔90歳〕 渋沢関係略年譜
1月15日 本店建物新築落成。
昭和7年(1932) - 【竜門社】第一次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。【渋沢敬三】第一銀行常務取締役就任。 渋沢関係略年譜
4月 当行を通じ預金部資金による地方銀行の不動産抵当債権の資金化行われる。
昭和9年(1934) - 【渋沢敬三】日本民族学会理事就任。 渋沢関係略年譜
10月1日 栃木県・宮崎両農工銀行と合併。(11日まで)
昭和11年(1936) - 【竜門社】第二次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。 渋沢関係略年譜
10月1日 東京府農工銀行と合併、以後昭和13年までに12農工銀行と第3次合併を行う。
昭和12年(1937) - 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会が、小畑久五郎著“An Interpretation of the Life of Viscount Shibusawa”を刊行する。 渋沢関係略年譜
12月22日 臨時資金調整法に基づく第1、2回戦時貯蓄債券発行。
昭和16年(1941) - 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 渋沢関係略年譜
3月5日 日本勧業銀行法改正され、貸付方法・期間・市街地貸付・預金業務等に関する制限緩和される。
昭和17年(1942) - 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 渋沢関係略年譜
2月17日 日本勧業銀行法の改正により、短期の無担保貸出を大幅に認められる。
昭和18年(1943) - 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 渋沢関係略年譜
7月 貯蓄銀行業務の兼営を認められる。
昭和19年(1944) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 渋沢関係略年譜
6月 割増金付定期預金の取扱い開始。
9月18日 神奈川県等5農工銀行と合併。
10月15日 第1回福券発行。
昭和20年(1945) - 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 渋沢関係略年譜
1月 空襲により仙台支店はじめ36店舗被災。(8月まで)
2月10日 預金業務無制限となる。
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