※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正6年(1917) | - | 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月12日 | 金輸出禁止に関する大蔵省令公布施行。 | 事項 | |
9月14日 | 金・銀地金の輸出許可願は日本銀行を経由と決定。 | 事項 | |
9月 | インド綿花輸入決済資金手当のため、横浜正金銀行および台湾銀行に極力南支・南洋方面におけるインド向け為替の買取に努力させ、また台湾銀行に対してとくに為替資金を供給。 | 事項 | |
10月1日 | 割引臨時国庫証券5,000万円の発行に当りこれを全額引受。(日本銀行引受発行の初まり) | 事項 | |
11月15日 | 鉄道国有に伴い従来の見返品目が少数となったため、以後見返品目の限定を廃止し、株券・社債・地方債および外国政府証券などで、その性質が優良または確実と認められるものを見返品に採択することに変更、かつその品目は公表しないことに決定。 | 事項 | |
大正7年(1918) | - | 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月15日 | 台湾銀行に対しインド綿花買入資金として限度1,000万円の預け金を行なう旨承諾。(別口為替資金) | 事項 | |
1月16日 | 日本銀行とニューヨーク連邦準備銀行間に、日米両国の経済ならびに金融関係を密接ならしめるため、一般的協定に関する覚書を交換。 | 事項 | |
3月1日 | 松江支店開設。 | 事項 | |
9月16日 | 公定歩合引上。(商業手形割引歩合2厘引上、1銭6厘、国債担保貸付利子歩合2厘引上、1銭6厘) | 事項 | |
11月25日 | 公定歩合引上。(商業手形割引歩合2厘引上、1銭8厘、国債担保貸付利子歩合2厘引上、1銭8厘) | 事項 | |
- | 高橋是清(原敬内閣) | 大蔵大臣 | |
大正8年(1919) | - | 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月7日 | 三島総裁病没。 | 事項 | |
3月13日 | 第9代総裁に井上準之助就任。 | 事項 | |
3月13日 | (第9代)井上準之助 | 日本銀行総裁 | |
5月 | 貿易金融の改善、割引市場の発達をはかるとともに銀行券の増発を防止するため、日本銀行は銀行引受手形の利用を貿易業者および銀行業者の間に勧奨。 | 事項 | |
6月12日 | 8月まで数回大蔵省と合議の国庫預金制度調査会議を開催、同制度採用のことに協議成立。 | 事項 | |
6月13日 | 横浜正金銀行に対する外国為替貸付金に関する約定を全文改訂。(貸借額の予定を廃し、また約定の有効期間を定めず。) | 事項 | |
6月 | 銀行引受手形の再割引を行なう旨決定。 | 事項 | |
7月16日 | 日本銀行引受による郵便局売出公債の売出を初めて実施。 | 事項 | |
8月1日 | 横浜正金銀行がその保有外国為替(輸出手形)を引当として市場に売出す為替手形(自己を支払人とする)に対してスタンプを押なつして置き、同手形を買取った取引先銀行に対し、何時でも再割引に応ずる措置を実施。 | 事項 |