※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治7年(1874) | - | 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 新築の駿河町洋館に「為換バンク三井組」の看板を掲げ開業式 | 行内の動き | |
10月 | 大蔵省の公金預り高に対する抵当増額令により危機に直面(11月まで) | 行内の動き | |
11月 | 小野組破たん、閉店 | 社会・経済の動き | |
明治8年(1875) | - | 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 1円銀を改鋳、貿易銀と改称 | 社会・経済の動き | |
3月 | 三井組の名を三井バンクと改称 | 行内の動き | |
7月 | 私盟会社三井銀行創立願書を提出 | 行内の動き | |
7月 | 銀行引継事務改正掛を設置、総取締に三野村利左衛門就任 | 行内の動き | |
12月 | 新銀行の役員選出。総長に三井八郎右衛門高福、副長兼総長代理に三野村利左衛門、副長に三井三郎助高喜決定 | 行内の動き | |
明治9年(1876) | - | 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 大蔵省、三井銀行の設立認可(条件つき)を東京府に指令(本文二三ページ) | 行内の動き | |
4月 | 東京府、三井銀行の設立認可を通達。大蔵省指令に基づき修正のうえ再び創立願書を提出 | 行内の動き | |
5月 | 東京府、三井組の修正願書を許可 | 行内の動き | |
6月30日 | 旧三井組と三井銀行の間で引継完了 | 行内の動き | |
7月1日 | 私盟会社三井銀行営業開始。資本金二〇〇万円、店舗数合計三一カ店、駿河町洋館で開業式(本文二四ページ) | 行内の動き | |
7月 | 三井物産会社設立 | 社会・経済の動き | |
8月 | 国立銀行条例改正//金禄公債証書発行条例公布 | 社会・経済の動き | |
9月 | 大蔵省に納税資金荷為替取組の願書提出、10月認可(本文二九ページ) | 行内の動き | |
- | この年、地方出張店二カ店開設、二カ店廃止 | 行内の動き | |
- | この年、アメリカ人ベルが電話を発明 | 社会・経済の動き | |
明治10年(1877) | - | 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 総長代理副長三野村利左衛門死去。三野村利助(利左衛門養嗣子)、総長代理副長に就任 | 行内の動き | |
2月 | 西南の役起こる(~9月) | 社会・経済の動き |