王子製紙(株)『王子製紙山林事業史』(1976.06)

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経営;従業員 北海道 明治44年~昭和14年 写真、北海道苫小牧分社の山林事業開始以来、工場原木需給対策の基礎固めと指導的な役割を果たすとともに、その他、山林作業技術の発展に寄与した歴代の幹部職員。武藤益蔵、水島鉉四郎、小林準一郎、伊東祐啓、波多野忠治、小宮良吉、星直太郎、佐々木儀助 流送事業にあって多年の経験を生かし、特殊技量の持主として、流送全般の補助的役割を果した。大町権太郎 山林調査に関しては神さま的存在で、審査事項には明確適切であり、多年の経験で国内外の調査に陰の功労があった。水島鉉四郎の昇給辞令(明治四十四年一月廿二日)//大正9年10月、苫小牧分社帯広山林出張所長・梅沢源吉の樺太分社転出を機に、所員一同にて送別兼出張所閉鎖式を行なう。曽根原某、佐々木某、笹野忠右ヱ門、平野閏、松下善太郎、川崎嘉久、渡辺保次、宮島二郎、石井亮二、梅沢源吉、[以下略]//昭和7年7月23日、苫小牧分社山林部長・小林準一郎・伊東祐啓、新旧交替の歓送迎会を職員、現業員一体で王子娯楽場で行なう。柴内幹也、山本茂郎、辻清一郎、中村堯夫、朝日久米治、中道徳蔵、星直太朗、吉木武一、山本寅次郎、今清任、[以下略]//昭和8年5月、富士製紙野付牛(現在の北見市)山林派出所の解散式における所員一同(王子製紙、富士製紙の合併によって)。樋口重貞、中島威四郎、依田政雄、向井惟晨、林吉夫、曽良中清作、赤石徳三(代)、斉藤英一郎、平田為一(代)、平尾創、[以下略]//昭和14年、北海道山林部長・伊東祐啓・大塚良敦、新旧交替の歓送迎会における職員一同(苫小牧工場正門玄関前)。//昭和14年、北海道山林部江別出張所長・林吉夫・栄口正輝、新旧交替時における所員一同。 〔写真の部〕14
経営 伐出事業 大正2年度~大正12年 写真、大正二年度、苫小牧分社山林係において、石狩川奥地ならびに沙流川支流糠平川上流に派遣した森林探検隊の出発記念(服装は当時の社給服)、市原孝助、根本弘之、川上某、大町権太郎、類地惣吉、川上与三郎(団長)、坂口寛、平瀬多三郎、波多野忠次、三上春吉、[以下略]//北海道において行なわれた伐出事業(造材、藪出し、大小道付け、中出し及び搬出等)の代表的な作業順((1)~(14))。(1)事業開始以前に伐採箇所の下調査のため、監督員が道なき奥地へ向う渡船風景。(2)山林事業の安全祈願のために、「山の神」として大山神社奉納に取りかかる(大祭12月12日)。(3)杣夫、馬夫、雑役夫の作業種毎に区分して、その収容人員、仕事量に応じて山小屋を設ける。(4)杣夫小屋で、仕事前に道具の手入れにはげむ。(5)伐倒直前のエゾマツ・トドマツ純林。(6)調査木の根株に鋸入れ。(7)伐倒した立木は枝払いの後、定尺をもって玉切り、八方皮剥ぎ作業に入る。(8)―(イ)玉切り丸太は、〓[木+玉]出し運材できる箇所まで藪出し(突落し)集材作業を行なう(傾斜地の場合)。(8)―(ロ)平坦地における藪出し(木寄せ)集材作業。(9)藪出し集材された丸太は〓[木+玉]曳運材され、目的地の集積される。(10)平坦で、ある程度運搬距離のある伐木造材地は降雪前に大道付作業を行ない、降雪を待ってバチ運材またはバチバチ運材の準備に入る。(11)小沢にある程度傾斜勾配のある箇所は、〓[木+玉]曳運材のかわりに丸太を併列して修羅出し作業を行なう。(12)大道付された、やや平坦地をバチ曳運材をもって山土場まで運ぶ。(13)大道付または既設道路上をトラクターに「バチバチ積み丸太」を連繋して運材する。(14)伐出・流送請負人から会社側に原料丸太を受渡しする場合、検収石数をもって作業費が精算されるが、検収員の責任ある検尺方法の確立のため、各自が登録された記号刻印を丸太に打記する。//大正12年、藤原銀次郎社長ほか随員一行は、十勝国美里別事業地管内を視察し、現場員の労をねぎらう。小宮良吉、工藤幸吉(淕別営林区署長)、川上与三郎、岡部長次、藤原銀次郎社長、伊藤正慶、横山隆秀、山本茂郎、高橋栄蔵、松下善太郎、[以下略] 〔写真の部〕20
事業所 満洲 明治40年~昭和17年6月 写真、明治40年当時より、すでに、無尽蔵といわれた東満洲の森林資源を対象とする製紙工場計画が立てられていて、一応、富寧公司の設立となるが、その対象資源としての鏡白湖とその周辺の樹林((1)、(2)、(3))ならびに臭松、魚鱗松、紅松の群生状況((4)、(5))、共栄起業所有の林場権、四合川柴山地区拉林河上流における林相。//昭和17年6月、共栄起業(株)の林場権調査のため、星直太郎ほか数名が派遣された折、出発前、吉林神社にて安全祈願する共栄起業幹部と調査隊。(右より)中村尭夫、阿部清、大町権太郎、不詳、星直太郎、根本弘之、尾形真郷、田代名兵衛、坂戸毅、海藤雅夫、[以下略]//昭和11年2月29日、新京において満洲林業(株)創立記念(幹部職員)。//パルプ事業計画樹立を目的とした森林資源調査、すなわち図化、面積および蓄積確定のため、昭和9年8月~10年2月に、帝国森林会、満州実業部林野司及び満鉄が合同して満州航空(株)に依頼した航空写真隊一行。//満州林業の宮田長次郎(前列右)、石和柏蔵(後列中央)ほか。//富寧公司の林場権証明書。興林公司の林場権証明書。//満州の広漠たる原野にたつ日満パルプ敦化工場全景。//昭和13年6月13日、日満パルプ化敦化工場竣工式を行ない、直ちに試運転開始のため、王子製紙副社長・高島菊次郎を迎えて日満パルプ本社役員及び工場幹部。//昭和13年12月~14年2月の3カ月間、北満の地にパルプ工場建設の適否条件調査のため、派遣された興安嶺調査団。白井四方、矢部隆常、佐藤某、大越某、青山与一、秋山富義、岩間正臣//日満パルプ敦化工場山林課、三股流地区伐出作業馬橇運材。//同上、夾心子馬号における流送土場集材作業。 〔写真の部〕56
事業所 南方 昭和14年5月~昭和18年3月 写真、昭和14年5月、日支事変によって広東占領地区入城後、王子製紙は陸・海・外務3省の連絡会議で、広東省営抄紙廠の復旧経営を依託された。当時の広東抄紙廠全景((1))と王子製紙出向幹部ならびにその従業員((2))。//昭和16年8月、南方地域森林調査の途中、台湾山林調査に向う。左より山本保男、案内人、佐藤致和、高橋晋吾。//昭和18年3月、海南島森林調査団として派遣され、現地海口郊外における(左より)大町権太郎、門田寛一、磯地金助。//海南島調査団宿舎前にて(左より)磯地金助、門田寛一、小宮山国雄、大町権太郎。 〔写真の部〕64
経営;従業員 造林事業 写真、苫小牧分社山林係の営林事業及び社有林購入森林調査にたずさわり、今日ある社有林形成の実をあげた幹部職員。大町権太郎、工藤松三郎、富本豊、三上春吉、武者敏雄、伊深幾太郎//北海道雨竜社有林の針葉樹林。//小平山林、富里団地の苗畑。//猿払山林、浅茅野第一苗畑。//羽幌山林、林間苗畑の床替状況。//アカエゾマツの伐採。//伐倒され、枝払い後の玉切り丸太。//苫小牧山林のカラマツ造林地。//歌登山林の未伐採林分。//猿払山林の成田の沢流域林相。//留辺藻山林のナラの択伐後の展示林。//湧別山林の植栽地と林道。//日高国佐瑠太牧場。 〔写真の部〕66
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