王子製紙(株)『王子製紙山林事業史』(1976.06)

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役員 王子製紙株式会社歴代社長 ~昭和42年3月27日 写真、渋沢栄一//藤原銀次郎 専務取締役社長 大正9年6月30日、取締役社長 昭和4年3月28日~昭和13年12月24日//高島菊次郎 取締役社長 昭和13年12月24日~昭和17年12月5日//足立正 取締役社長 昭和17年12月5日~昭和21年12月21日//中島慶次 昭和21年12月21日~昭和42年3月27日 〔写真の部〕11
経営 伐出事業 大正2年度~大正12年 写真、大正二年度、苫小牧分社山林係において、石狩川奥地ならびに沙流川支流糠平川上流に派遣した森林探検隊の出発記念(服装は当時の社給服)、市原孝助、根本弘之、川上某、大町権太郎、類地惣吉、川上与三郎(団長)、坂口寛、平瀬多三郎、波多野忠次、三上春吉、[以下略]//北海道において行なわれた伐出事業(造材、藪出し、大小道付け、中出し及び搬出等)の代表的な作業順((1)~(14))。(1)事業開始以前に伐採箇所の下調査のため、監督員が道なき奥地へ向う渡船風景。(2)山林事業の安全祈願のために、「山の神」として大山神社奉納に取りかかる(大祭12月12日)。(3)杣夫、馬夫、雑役夫の作業種毎に区分して、その収容人員、仕事量に応じて山小屋を設ける。(4)杣夫小屋で、仕事前に道具の手入れにはげむ。(5)伐倒直前のエゾマツ・トドマツ純林。(6)調査木の根株に鋸入れ。(7)伐倒した立木は枝払いの後、定尺をもって玉切り、八方皮剥ぎ作業に入る。(8)―(イ)玉切り丸太は、〓[木+玉]出し運材できる箇所まで藪出し(突落し)集材作業を行なう(傾斜地の場合)。(8)―(ロ)平坦地における藪出し(木寄せ)集材作業。(9)藪出し集材された丸太は〓[木+玉]曳運材され、目的地の集積される。(10)平坦で、ある程度運搬距離のある伐木造材地は降雪前に大道付作業を行ない、降雪を待ってバチ運材またはバチバチ運材の準備に入る。(11)小沢にある程度傾斜勾配のある箇所は、〓[木+玉]曳運材のかわりに丸太を併列して修羅出し作業を行なう。(12)大道付された、やや平坦地をバチ曳運材をもって山土場まで運ぶ。(13)大道付または既設道路上をトラクターに「バチバチ積み丸太」を連繋して運材する。(14)伐出・流送請負人から会社側に原料丸太を受渡しする場合、検収石数をもって作業費が精算されるが、検収員の責任ある検尺方法の確立のため、各自が登録された記号刻印を丸太に打記する。//大正12年、藤原銀次郎社長ほか随員一行は、十勝国美里別事業地管内を視察し、現場員の労をねぎらう。小宮良吉、工藤幸吉(淕別営林区署長)、川上与三郎、岡部長次、藤原銀次郎社長、伊藤正慶、横山隆秀、山本茂郎、高橋栄蔵、松下善太郎、[以下略] 〔写真の部〕20
物流 流送・船積 昭和12年 写真、(1)冬山事業では、丸太は造材現場から川沿い山土場へ馬橇運材され、椪積み巻立てられる。(2)川沿い山土場椪積み材は、堰堤内で湛水しながら土入作業に入る。(3)堰堤に十分な湛水が行なわれると放水を開始、同時に土入した原料丸太は、その水量と水勢によって小沢支流を散流しながら本流へと流下する。(4)本流を散流により流下し、本網羽に着材すると、直ちに流送夫による水切り、陸揚げ、巻立てなどの作業に入るか、または編成の上、船積みのため曳航するものに選別する。(5)編筏して河口まで曳航された原料丸太は、沖に待機している積取船へと沖出し準備にとりかかる。(6)重積筏に組立てて積取本船まで曳航する。(7)、(8)曳航された編筏原料丸太は、積取船の舷側で掛筏としクレーンによって積込まれ、内地へ移出される。(9)樺太外知来における内地向け移出材を、一応皆別湖に繋留して船積みを待つが、その代表的な湖上集積土場の光景。//日本人絹パルプ山林管内敷香事業区に隣接する日・ソ国境・境界線に位置して(右より小泉小次郎、磯地金助、石原好一、以下不詳)。//樺太分社における豊原~落合間鉄道開通祝賀記念式典に列席した藤原銀次郎社長、高島菊次郎副社長、ほか随員と樺太分社大幹部職員(前列右より)、梅沢源吉、2人不詳、高島菊次郎、藤原銀次郎、1人不詳、光沢義男、山内幾馬、(後列右より2人目)木下又三郎。//昭和12年、日本人絹パルプ敷香工場を視察した樺太分社梅沢源吉山林部長と幹部職員。今井兼次、磯地金助、石川弘文、疋田得三郎、北川盛三、近江繁雄、村上彦四郎、中川正逸、大島小謹吾、宇部清、[以下略] 〔写真の部〕41
関係会社 沿海州 昭和2年~昭和3年7月 写真、昭和3年7月、日露木材(株)設立1周年記念行事として幹部職員とともに取引先、とくに「ダリレス」のソ連人婦人と随員を招き、江の島「岩本楼」において園遊会を開催。杉本、久保、関、鈴木、北山、鮫島、石川、金井、池川、徳弘、[以下略]//昭和2年、日露木材(株)設立、間もなくソ連経済視察団を迎えて、王子製紙・藤原銀次郎社長、日露木材・青木一葉社長ともども製紙技術の視察を兼ね十条工場へ案内。西浦(十条)、杉本角夫(日露)、北川克(日露)、サラジンスキー(木材部次席)、ソ連人、ソ連人(代表部法律顧問)、ソ連人4人、青木一葉(日露初代社長)、(前)マーリンコフ(ダリレス総裁)、(後)関信止(日露)、ソ連人、ソ連人 アニケエール、[以下略] 〔写真の部〕54
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