横浜正金銀行『横浜正金銀行全史. 第6巻』(1984.03)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治28年(1895) - 【渋沢栄一】東京統計協会終身会員。北越鉄道株式会社創業総会・監査役(後に相談役)。〔55歳〕 渋沢関係略年譜
7月1日 行員川島忠之助のリヨン出張所主任を解き本店副支配人申付け、リヨン出張所詰行員市川亮功へ同所主任心得を申付ける 正金の歩み
7月 貨幣制度調査会終了(12月同会廃止) 内外の出来事
8月27日 毛利元昭取締役辞任、山本達雄日銀営業局長が同行在職のまま補欠就任、同行員高橋是清が本店支配人として入行 正金の歩み
12月 上海出張所を清国各店の統轄店とし為替基銀100万両を置く(明治39年清国各店の為替基を同店に集中、一時は630万両に達したが、大2年9月に全廃) 正金の歩み
12月 為替連合店組織を変更、サンフランシスコ出張所を独立店に格上げ、翌年7月1日から実施 正金の歩み
- この年、レントゲンがX線発見:マルコーニが無線電信を発明 内外の出来事
明治29年(1896) - 【渋沢栄一】日本精糖株式会社創立・取締役。東京興信所創立、評議員。東京銀行集会所会長。東京印刷株式会社設立・相談役。東洋汽船株式会社創業、監査役。東京建物株式会社創立発起人。第一国立銀行が営業満期により株式会社第一銀行となる。引続き頭取。汽車製造合資会社設立・創立委員(後に監査役)。北越石油株式会社創業・相談役。日本勧業銀行設立委員。〔56歳〕【渋沢敬三】父・渋沢篤二、母・敦子の長男として都内深川に生まる。 渋沢関係略年譜
2月4日 行員青木鉄太郎をサンフランシスコ出張所主任に任命 正金の歩み
2月6日 正金ロンドン支店が日銀から政府預託金の取扱代理を委任され、3月16日をもって在ロンドン日銀代理店となることを公表 正金の歩み
2月 清国賠償金その他政府が日銀へ寄託の貨幣・金銀地金・有価証券などの保管出納事務代理を受託 正金の歩み
3月 資本金600万円を倍額増資(第2回)で1,200万円とし、9月1日現在株主にその所有株式1株につき新株式1株を額面価格で割当 正金の歩み
3月 園田頭取推薦により高橋本店支配人を現職のまま取締役に選任 正金の歩み
4月 第1回国際オリンピックをアテネで開催 内外の出来事
5月 園田頭取が山本取締役兼日銀営業局長と共にイギリスへ出張、不在中職務代理を相馬取締役に委嘱(翌年1月帰朝後頭取病気のため代理は同年3月まで持続) 正金の歩み
5月 日銀との契約によりロンドン支店は同行から政府寄託金のうち100万ポンドを預るほか、同行の指図に従い有価証券・金銀・為替の購入および買入為替の予約に当たる 正金の歩み
5月 日銀の代理として、海外各地の金利・為替相場・一般市況などを政府に報告の任務を受託 正金の歩み
7月 横浜の外商ウィルソン商会破綻のため正金の前貸4万余円全損となる 正金の歩み
9月15日 香港出張所開設、独立店として為替基50万香港ドルを置く(明治32年239万ドルとなったあと、明治39年5月上海支店に移される) 正金の歩み
9月18日 第二次松方内閣成立 内外の出来事
9月 松方内閣成立に伴ない金貨本位制の断行決定のため、償金現送も金を主・銀を従として購入の政府方針 正金の歩み
9月 イングランド銀行がロンドン支店の預金勘定開設を受諾 正金の歩み
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