※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治26年(1893) | - | 【渋沢栄一】喜賓会創立・幹事長。東京人造肥料株式会社取締役会長。株式会社東京石川島造船所取締役会長。王子製紙株式会社取締役会長。帝国ホテル株式会社取締役会長。 | 渋沢関係略年譜 |
2月4日 | 有限責任日本麦酒醸造会社、組織を変更して日本麦酒株式会社と改称 | ビール業界 | |
4月 | 初めて国産の壜を使用 | 当社関係 | |
7月1日 | 商法の一部(会社編)施行 | 一般 | |
7月1日 | 三菱会社、合資会社となる(社長、岩崎久弥) | 一般 | |
11月 | 大阪麦酒、吹田にて製壜を開始 | ビール業界 | |
- | 桜田ビール(清水谷商会)、工場を保土ケ谷に移し、東京麦酒と改称 | ビール業界 | |
- | 横山助次郎、日の出ビール発売 | ビール業界 | |
明治27年(1894) | - | 【渋沢栄一】東京瓦斯株式会社取締役会長。東京海上保険株式会社取締役。北越鉄道株式会社創立発起人。札幌麦酒株式会社取締役会長。 | 渋沢関係略年譜 |
7月16日 | 日英通商航海条約締結//11月米国、12月イタリア以下明三〇までに旧条約悉く改正 | 一般 | |
8月1日 | 日清戦争開戦 | 一般 | |
- | ロンドン・クラウン・コーク会社創立(王冠栓の発明) | ビール業界 | |
明治28年(1895) | - | 【渋沢栄一】東京統計協会終身会員。北越鉄道株式会社創業総会・監査役(後に相談役)。〔55歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月17日 | 日清講和条約調印 | 一般 | |
4月23日 | 三国千渉 | 一般 | |
- | 明治屋磯野計、製麦工場建設を発議するも容れられず | 当社関係 | |
- | 東京淀橋にて大黒ビール発売(明三一、廃業) | ビール業界 | |
明治29年(1896) | - | 【渋沢栄一】日本精糖株式会社創立・取締役。東京興信所創立、評議員。東京銀行集会所会長。東京印刷株式会社設立・相談役。東洋汽船株式会社創業、監査役。東京建物株式会社創立発起人。第一国立銀行が営業満期により株式会社第一銀行となる。引続き頭取。汽車製造合資会社設立・創立委員(後に監査役)。北越石油株式会社創業・相談役。日本勧業銀行設立委員。〔56歳〕【渋沢敬三】父・渋沢篤二、母・敦子の長男として都内深川に生まる。 | 渋沢関係略年譜 |
9月6日 | 丸三麦酒醸造所(個人経営)を丸三麦酒株式会社と改む | ビール業界 | |
明治30年(1897) | - | 【渋沢栄一】澁澤倉庫部開業、営業主(後に澁澤倉庫株式会社発起人)。日本女子大学校創立委員会計監督(後に校長)。十勝開墾合資会社業務担当社員。広島水力電気株式会社創立、取締役会長。渋沢家洲崎養魚場開設。 〔57歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月29日 | 金本位制確立 | 一般 | |
12月14日 | 一手販売店明治屋の磯野計歿す | 当社関係 | |
- | 札幌麦酒、苗穂村にホップ園を再興 | ビール業界 | |
- | 東京麦酒、鶏頭印東京ビール発売 | ビール業界 | |
明治31年(1898) | - | 【渋沢栄一】浅野セメント合資会社監査役。韓国視察、韓国皇帝に謁見。王子製紙株式会社取締役会長を辞す(後に相談役)。〔58歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 葉煙草専売実施 | 一般 |