日産火災海上保険(株)『五十年史』(1961.05)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和35年(1960) - 【渋沢敬三】熊本大学における第15回日本人類学会・日本民族学協会連合大会に出席して発病、東京大学医学部附属病院に入院、療養。 渋沢関係略年譜
1月 民主社会党結成 一般
2月 原子力賠償責任保険事業免許を受ける 当社
4月 新種保険部営業第三課設置 当社
4月 大蔵省保険課一、二課に分割 業界
5月 協会予防部を予防広報部と改称 業界
5月 チリ地震津波 一般
6月 取締役会で末松社長を会長に、渡辺副社長を社長に、宮津専務を副社長に、大石常務を専務に、杉、森田両取締役を常務に互選 当社
6月 住友海上など六社に建設工事保険認可 業界
6月 共栄、第一の両相互会社、初の社員配当 業界
6月 六・四闘争 一般
7月 中国地方に集中豪雨禍 一般
7月 池田内閣成立 一般
9月 末松会長、大石専務、欧州へ出張 当社
9月 自動車賠償責任保険の限度を五十万円に引上げ 業界
9月 関西経済連合会「企業に対する風水害保険について」の意見をまとめる 業界
10月 建設工事保険認可される 当社
10月 取締役会で十六億円に増資決定 当社
10月 浅沼刺殺事件 一般
11月 日鉱水島製油所と組立保険契約(四十五億七千万円)成立 当社
12月 住宅総合保険認可される 当社
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