※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
明治4年(1871) | - | 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | 一〇代治右衛門が取締役となる | 月桂冠(笠置屋)関係事項 | |
9月18日 | 一〇代治右衛門が酒造高五八〇石の内、五石を味淋酒の製造にまわしたい旨、京都府に願い出る | 月桂冠(笠置屋)関係事項 | |
- | この頃蒸気船の登場により、酒の運送に各荷主も注目するようになる | 酒史・一般事項 | |
明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 第一回京都博覧会集所院が設立される | 酒史・一般事項 | |
- | 都おどりが創始される | 酒史・一般事項 | |
明治6年(1873) | - | 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月10日 | 徴兵令が出る | 酒史・一般事項 | |
7月 | 地租改正条例がだされる | 酒史・一般事項 | |
明治7年(1874) | - | 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月28日 | 大倉恒吉(一一代)が誕生する | 月桂冠(笠置屋)関係事項 | |
明治8年(1875) | - | 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 大阪―神戸間の鉄道が完成する | 酒史・一般事項 | |
12月 | 太政官布告で酒類税則が制定され、新たに酒造営業税を設ける | 酒史・一般事項 | |
- | 酒類の冥加金が廃止される | 酒史・一般事項 | |
明治10年(1877) | - | 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | E・キンチが市販清酒を初めて分析する | 酒史・一般事項 | |
明治11年(1878) | - | 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月 | 太政官布告により醸造税一石につき清酒一円と改正される | 酒史・一般事項 | |
明治12年(1879) | - | 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 木村清助が伏見で初めて東京へ出荷をする | 酒史・一般事項 | |
明治13年(1880) | - | 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月 | 酒造税則が実施される | 酒史・一般事項 | |
9月 | 府布達をもって酒造組合の規約が明示され、業者の組合組織が初めて公認される | 酒史・一般事項 | |
明治14年(1881) | - | 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月8日 | 京都府博覧会で一〇代治右衛門が品質優良の褒状を受ける | 月桂冠(笠置屋)関係事項 | |
- | R・W・アトキンソンが火落酒の中から火落菌を発見 | 酒史・一般事項 | |
明治15年(1882) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 京都で酒屋会議が開催される | 酒史・一般事項 | |
10月 | 隠居普請ならびに土蔵引が行なわれる | 月桂冠(笠置屋)関係事項 |