※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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慶応3年(1867) | - | 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | 京阪一帯に“ええじゃないか”おこる | 酒史・一般事項 | |
12月9日 | 王政復古の大号令が出る | 酒史・一般事項 | |
慶応4年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月3日 | 鳥羽伏見の戦で伏見造酒家の大半が被害を受ける | 酒史・一般事項 | |
1月 | 鳥羽伏見の戦の兵火において、本宅及び酒蔵の被災は免れたが、借家は焼失し、出費かさむ | 月桂冠(笠置屋)関係事項 | |
2月 | 笠置屋の有酒一八〇石、三分の一造酒米高八〇石、この清酒七二石、小米造高一石六斗、この清酒一石四斗四升、買入酒一九七石一斗九升五合となる | 月桂冠(笠置屋)関係事項 | |
5月 | 会計官布達により、山城国寺社領及び洛中洛外での酒造については、鑑札を改め株高百石につき金二〇両を上納することになる | 酒史・一般事項 | |
6月 | 一〇代治右衛門が年番となる | 月桂冠(笠置屋)関係事項 | |
8月 | 太政官布告により酒造石高を免許高の三分の一とする | 酒史・一般事項 | |
- | 笠置屋が肥後橋御用として、洪水のときに水桶二本(四石以上)をだす | 月桂冠(笠置屋)関係事項 | |
- | 笠置屋治右衛門と唐松(万屋)藤九郎が禁裡御用をつとめるため、大黒屋万治郎(代々御用商人)から御所御用株を銀二貫五百匁で譲り受ける | 月桂冠(笠置屋)関係事項 | |
明治元年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
12月23日 | 酒造株のほか諸株いっさい廃止の旨、京都府から布達される | 酒史・一般事項 | |
12月26日 | 一〇代治右衛門が伏見市中大年寄助役に就任する | 月桂冠(笠置屋)関係事項 | |
- | 伏見で買入酒が盛んに行なわれる | 酒史・一般事項 | |
- | 丹後杜氏が伏見に進出、二〇余名が就職する | 酒史・一般事項 | |
明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月23日 | 版籍奉還がなる | 酒史・一般事項 | |
9月 | 一〇代治右衛門が肝煎となる | 月桂冠(笠置屋)関係事項 | |
- | 笠置屋の造石高は五八〇石となる(伏見二八軒中三位) | 月桂冠(笠置屋)関係事項 | |
- | 伏見造酒屋仲間二八株造米高七、三四〇石となる | 酒史・一般事項 | |
明治4年(1871) | - | 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月14日 | 廃藩置県を行なう | 酒史・一般事項 | |
7月 | 酒株が廃止され、大蔵省租税司より免許鑑札を付与される 民部省と大蔵省が清酒濁酒醤油鑑札収与並収税方法規則を制定する | 酒史・一般事項 |