月桂冠(株)『月桂冠三五〇年の歩み』(1987.10)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
安政3年(1856) - 【渋沢栄一】父の代理で領主安部摂津守の岡部の陣屋で用金の命を受ける。代官が傲慢で栄一を侮蔑、圧制に痛憤し封建の弊に強烈な反感を持つ。〔16歳〕 渋沢関係略年譜
- 九代治右衛門が松林院の本堂庫裏の修繕と改築を率先して行なう 月桂冠(笠置屋)関係事項
安政4年(1857) 10月 造酒屋休株を借受けて小売をする者が増えたので、請酒屋仲間がその停止を奉行所に訴える 酒史・一般事項
安政5年(1858) - 【渋沢栄一】従妹尾高千代(ちよ、尾高惇忠の妹)と結婚。〔18歳〕 渋沢関係略年譜
7月2日 九代治右衛門が死去する 月桂冠(笠置屋)関係事項
9月 安政の大獄が始まる 酒史・一般事項
万延元年(1860) 3月3日 桜田門外の変がおこる 酒史・一般事項
11月 笠置屋が伝馬所馬飼立詰所に土地・建物を貸す 月桂冠(笠置屋)関係事項
- 伏見の酒造高、株数二八軒、造米高三、六五四石となる 鑑札高の三分の二造の制限令が出る 酒史・一般事項
文久元年(1861) - 【渋沢栄一】春、江戸に出て、海保漁村塾・千葉栄次郎道場に学ぶ。〔21歳〕 渋沢関係略年譜
4月 一〇代治右衛門が米高値につき市中難渋人への救金として金一〇両を寄付する 月桂冠(笠置屋)関係事項
5月 一〇代治右衛門が家督を相続し、「仕法書」を記す 月桂冠(笠置屋)関係事項
文久2年(1862) 4月23日 寺田屋事件がおこる 酒史・一般事項
- 一〇代治右衛門が松林院檀家として、後崇光院陵修補に尽力する 月桂冠(笠置屋)関係事項
文久3年(1863) - 【渋沢栄一】高崎城乗っ取り、横浜焼き討ちを企てるが、計画を中止し京都に出奔。〔23歳〕 渋沢関係略年譜
3月7日 将軍上洛の祝儀銀五千貫を京都町人に与える 酒史・一般事項
元治元年(1864) - 【渋沢栄一】一橋家に仕える。篤太夫と改名。〔24歳〕 渋沢関係略年譜
7月19日 禁門の変による大火で寺社二〇〇余、八一一町が焼失する 以後京都の治安が悪化する 酒史・一般事項
9月 江戸下り酒問屋に対し、取締のための鑑札を交付し、樽毎に銀六匁の冥加銀を課す 酒史・一般事項
- 伏見の酒造高、株数二八軒、造米高七、二五九石となる 酒史・一般事項
慶応元年(1865) - 【渋沢栄一】一橋家歩兵取立御用掛を命ぜられ領内を巡廻。〔25歳〕 渋沢関係略年譜
4月12日 第二回長州征伐がはじまる 酒史・一般事項
慶応2年(1866) - 【渋沢栄一】徳川慶喜、徳川宗家を相続(後に征夷大将軍)し、栄一は幕臣となる。〔26歳〕 渋沢関係略年譜
10月 一〇代治右衛門が、市在難渋人への救銀として銀二貫目を寄付する 月桂冠(笠置屋)関係事項
- 手動式の消火ポンプ(竜吐水)を笠置屋銘でつくる 月桂冠(笠置屋)関係事項
- 笠置屋の他所酒買入約一九〇石となる 月桂冠(笠置屋)関係事項
- 伏見の酒造高、株数二八軒、造米高二、四七〇石となる 鑑札高の三分の一造の制限令が出る 酒史・一般事項
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