※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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天保10年(1839) | - | 京都で豊年踊りが流行する | 酒史・一般事項 |
天保11年(1840) | - | 【渋沢栄一】天保11年2月13日(1840年3月16日)、武蔵国榛沢郡血洗島村(現在の埼玉県深谷市血洗島)に生まれる。幼名は市三郎。渋沢家は代々の農家で養蚕と製藍を兼業。〔0歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月 | 八代治右衛門が年寄役に就任する | 月桂冠(笠置屋)関係事項 | |
- | 翌年にかけて居宅普請を行なう | 月桂冠(笠置屋)関係事項 | |
天保12年(1841) | 5月15日 | 天保の改革がはじまる | 酒史・一般事項 |
12月14日 | 株仲間の解散令が出る | 酒史・一般事項 | |
天保13年(1842) | - | 造酒株仲間は一時解散したが、稼業中の二八軒に限り印札の下付をうけた | 酒史・一般事項 |
弘化3年(1846) | 12月 | 造酒米高、二四〇石二斗、休造分、一八石となる | 月桂冠(笠置屋)関係事項 |
12月 | 九代治右衛門が年行事となる | 月桂冠(笠置屋)関係事項 | |
- | 伏見の酒造高、株数二八株、造石高六、七二四石となる | 酒史・一般事項 | |
弘化4年(1847) | - | 【渋沢栄一】従兄尾高惇忠から漢籍を学ぶ。〔7歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 造酒屋仲間が冥加銀年銀三枚を上納する | 酒史・一般事項 | |
嘉永元年(1848) | - | 【渋沢栄一】このころ実名を美雄とする。後に伯父渋沢誠室の命名で栄一と改める。〔8歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月5日 | 八代治右衛門が臨時御救川凌のうちへ白銀五枚を寄付する | 月桂冠(笠置屋)関係事項 | |
嘉永3年(1850) | 11月 | 八代治右衛門が米価高値につき極難渋人救金として金五両を寄付する | 月桂冠(笠置屋)関係事項 |
嘉永4年(1851) | 3月9日 | 株仲間が再興される | 酒史・一般事項 |
嘉永6年(1853) | - | 【渋沢栄一】家業の畑作、養蚕、藍葉の買入、藍玉製造販売に精励。〔13歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月3日 | ペリーが浦賀に来航する | 酒史・一般事項 | |
- | パスツールが微生物により醗酵が起ることを証明する | 酒史・一般事項 | |
嘉永7年(1854) | 3月3日 | 日米和親条約(神奈川条約)がなる | 酒史・一般事項 |
4月6日 | 京都に大火がおこり、禁裏が炎上する | 酒史・一般事項 | |
11月4日 | 京・大坂の大地震で、大坂の得意先、河内屋九右衛門・嶋屋喜兵衛に見舞品を送る | 月桂冠(笠置屋)関係事項 | |
安政2年(1855) | - | 八代治右衛門が隠居し、「仕分覚」を妻せい宛に記す | 月桂冠(笠置屋)関係事項 |
安政3年(1856) | - | 【渋沢栄一】父の代理で領主安部摂津守の岡部の陣屋で用金の命を受ける。代官が傲慢で栄一を侮蔑、圧制に痛憤し封建の弊に強烈な反感を持つ。〔16歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月22日 | 八代治右衛門が死去する | 月桂冠(笠置屋)関係事項 |