小西酒造(株)『白雪の明治・大正・昭和前期 : 11考・業茂、12考・業精の時代』(1995.09)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
寛文元年(1661) - [原資料 寛永元年] 伊丹郷町が近衛領となる。 ●修武館沿革
元禄10年(1697) - 惣宿老制度が設けられ、小西家は代々この職につく。近衛領内の司法行政を支配する役目で、4考・霜巴もその一人として帯刀を許されている。 ●修武館沿革
天明6年(1786) - 7考・朝巴は惣宿老として、伊丹郷町の治安維持と秩序を守るため、領主近衛家に私設道場の創設を願い出た。これが今日の修武館の始まりである。 ●修武館沿革
嘉永4年(1851) 3月 ●小西新右衛門 11考・業茂 嘉永4年(1851)3月生まれ。幼名・新太郎、後年、茂十郎。明治11年(1878)、27歳で10考・業広より家督を相続する。3男1女があり、長男・利右衛門(のち、12考・業精)次男・壮二郎、三男・慎三、長女・庸。明治39年(1906)5月25日、摂津魚崎の別荘に没す。享年55歳。 財界活動関係年表(1) 11考・業茂
明治2年(1869) - 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 渋沢関係略年譜
- 道場を私塾として一般に公開する。同時に広く武術師範を招聘した。 ●修武館沿革
明治7年(1874) - 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 渋沢関係略年譜
- 茂十郎(のちの11考・業茂)、揚武会を興す。剣術のほか、柔術、薙刀、槍術、杖術、馬術、さらに漢学にいたるまで、一般子弟に教育を行った。 ●修武館沿革
明治8年(1875) - 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 渋沢関係略年譜
11月9日 ●小西新右衛門 12考・業精 明治8年(1875)11月9日生まれ。幼名・新太郎、後年、利右衛門。仙台の第二高等学校を経て東京帝国大学法科政治学科に学び、明治36年(1903)卒業。直ちに、大蔵省理財局に勤務。明治39年(1906)退職して家督を相続する、30歳。妻・完子(子爵・大河内正倫の妹、学習院卒)との間に長女・静子、次女・文子の2女をもうけた。昭和22年(1947)8月22日没。享年72歳。 財界活動関係年表(2) 12考・業精(酒造関係は除く)
明治16年(1883) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 渋沢関係略年譜
2月17日 日本銀行、監事(任期 M.21.12.25.まで)32歳。 財界活動関係年表(1) 11考・業茂
明治18年(1885) - 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 渋沢関係略年譜
- 揚武会の名称を修武館に改め、11考・業茂が初代館長となる。剣術師範に心形刀流の富山円(のち範士)、薙刀師範に天道流14代宗家の美田村顕教(のち範士)を招聘し、斯道の普及顕彰に努める。 ●修武館沿革
明治19年(1886) - 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 渋沢関係略年譜
12月9日 山陽鉄道、県知事から小西新右衛門らに設立発起の要請。 鉄道事業関係年表
12月22日 山陽鉄道(現・JR山陽本線)、発起人。 財界活動関係年表(1) 11考・業茂
12月27日 賛同して請願書まとまる。 鉄道事業関係年表
明治20年(1887) - 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 渋沢関係略年譜
1月28日 政府より条件付きで認可との回答。 鉄道事業関係年表
4月 川辺馬車鉄道、小西壮二郎を発起人代表として設立出願。 鉄道事業関係年表
4月 川辺馬車鉄道、発起人代表(小西壮二郎名義)。 財界活動関係年表(1) 11考・業茂
5月 *私設鉄道条例 鉄道事業関係年表
明治21年(1888) - 【渋沢栄一】札幌麦酒会社創立・発起人総代(後に札幌麦酒株式会社取締役会長)。品川硝子会社設立、相談役。東京女学館開校・会計監督(後に館長)。兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)の新邸に転居。〔48歳〕【竜門社】出版条例の改正により『竜門雑誌』1号を改めて発行する。第1回秋季総集会を曖依村荘にて開催する。 渋沢関係略年譜
1月 山陽鉄道株式会社設立、社長に中上川彦次郎。 鉄道事業関係年表
明治22年(1889) - 【渋沢栄一】石川島造船所創立・委員(後に株式会社東京石川島造船所取締役会長)。門司築港会社創立・相談役。田川採炭株式会社創立・相談役。三重紡績株式会社相談役。北海道炭礦鉄道会社常議員〔49歳〕 渋沢関係略年譜
2月2日 川辺馬車鉄道、尼崎―伊丹―川西間と伊丹―三田間の免許。 鉄道事業関係年表
4月29日 摂丹鉄道、小西壮二郎ほか29名の発起で設立出願。 鉄道事業関係年表
4月29日 摂丹鉄道、発起人(小西壮二郎名義)。 財界活動関係年表(1) 11考・業茂
PAGE TOP