京浜急行電鉄(株)『京浜急行90年史 : 写真でつづる最近10年のあゆみ』(1988.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和16年(1941) - 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 渋沢関係略年譜
11月1日 湘南電気鉄道株式会社と湘南半島自動車株式会社を合併
昭和17年(1942) - 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 渋沢関係略年譜
5月1日 東京横浜電鉄株式会社、小田急電鉄株式会社と合併、東京急行電鉄株式会社品川営業局となる
9月1日 湘南逗子駅葉山口乗降場営業廃止
12月1日 横須賀堀内~久里浜間(4.5km)営業開始
昭和18年(1943) - 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 渋沢関係略年譜
6月1日 品川~横浜、京浜蒲田~穴守、京浜川崎~川崎大師間の軌道を地方鉄道に変更
7月5日 湘南自動車工業株式会社設立(42.2.28、京急自動車工業株式会社に商号変更)
昭和19年(1944) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 渋沢関係略年譜
5月1日 急行(品川~黄金町間)運転中止、品川~黄金町、横浜~浦賀間に分割運転
5月10日 品川営業局を横浜に移転、横浜営業局と改称
6月1日 川崎大師~産業道路間(1.3km)営業開始
10月1日 産業道路~入江崎間(3.0km)営業開始
昭和20年(1945) - 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 渋沢関係略年譜
1月10日 入江崎~桜本間(1.2km)営業開始
9月24日 稲荷橋~穴守間(1.3km)営業休止
昭和22年(1947) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』670号を復刊する。 渋沢関係略年譜
12月25日 品川~横浜、京浜蒲田~稲荷橋間1500Vに昇圧
昭和23年(1948) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』677号をもって廃刊する。 渋沢関係略年譜
6月1日 京浜急行電鉄株式会社発足
7月3日 逗子線、湘南逗子~逗子海岸間(0.4km)営業開始
7月15日 品川~浦賀間直通運転再開
8月 逗子線、金沢八景~神武寺間複線復旧工事竣工
10月28日 京浜観光開発株式会社設立(49.10.1京急交通株式会社に商号変更)
10月 東京電機株式会社、関係会社となる
12月21日 川崎鶴見臨港バス株式会社、関係会社となる
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