京浜急行電鉄(株)『京浜急行100年の歩み : 1898-1998』(1998.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和19年(1944) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 渋沢関係略年譜
2月24日 篠原三千郎が取締役社長に就任
5月1日 急行の運転中止
5月1日 品川~黄金町間、横浜~浦賀間折り返し運転
5月31日 京王電気軌道を合併
6月1日 川崎大師~産業道路間開通
10月1日 産業道路~入江崎間開通
昭和20年(1945) - 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 渋沢関係略年譜
1月7日 入江崎~桜本間開通
3月12日 平山孝が取締役社長に就任
8月15日 太平洋戦争、第2次世界大敵終結 [一般事項]
8月20日 小宮次郎が取締役社長に就任
9月27日 連合国軍の接収により、穴守線稲荷橋~穴守聞か営業休止し、京浜蒲田~稲荷橋間は単線運転となる
12月6日 大師線と川崎市電が桜本で接続
12月22日 横浜~上大岡間を1,500Vに昇圧
昭和21年(1946) - 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 渋沢関係略年譜
3月1日 小林中か取締役社長に就任
11月3日 日本国憲法公布(S22.5.3.施行) [一般事項]
昭和22年(1947) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』670号を復刊する。 渋沢関係略年譜
6月25日 東京都との協定により、乗合バスの都内相互乗り入れ開始
10月16日 井田正一が取締役社長に就任
12月25日 品川~横浜間、穴守線を1,500Vに昇圧
昭和23年(1948) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』677号をもって廃刊する。 渋沢関係略年譜
6月1日 京浜急行電鉄株式会社発足
6月1日 上田甲午郎が専務取締役(代表)に就任
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