※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
明治38年(1905) | - | 【渋沢栄一】韓国皇帝より勲一等太極章。移転した養育院感化部井之頭学校と改称、開校式。徳川慶喜・伊藤博文らを飛鳥山邸(曖依村荘)に招待、茶室・無心庵にて午餐会。〔65歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月11日 | 布哇糖業その他を視察のため常務取締役山本悌二郎及び日比孝一、草鹿砥祐吉、鈴木源吉の三技師マンチユリヤ号にて横浜を出帆す | 当社関係 | |
7月1日 | 去る三月公布せられたる工場抵当法本日より実施せらる(勅令第百八十七号) | 一般 | |
7月25日 | 山本取締役外布哇より帰朝す | 当社関係 | |
8月21日 | 第五回定時株主総会を東京市麹町区有楽町東京商業会議所に於て開催(株主配当年一割) | 当社関係 | |
8月21日 | 引続き臨時総会を開催、監査役全員任期満了に付改選の結果、岡本貞烋、賀田金三郎、津田静一の三名当選重任す | 当社関係 | |
9月7日 | 日露平和条約調印せらる | 一般 | |
10月21日 | 橋仔頭第一工場設立許可せらる(当工場は明治三十四年の設立なるも、明治三十八年六月発布の製糖場取締規則により、製糖工場の設立は許可を要する事となりたるためその手続を履みたるものなり) | 当社関係 | |
12月7日 | 児玉総督凱旋に付武智常務取締役新橋停車場に歓迎す | 当社関係 | |
12月13日 | 当社軌道を官鉄停車場構内に延長連絡許可指令を受く | 当社関係 | |
12月 | 是月 台湾工業用酒精戻税法規則(律令第十四号)制定公布せらる | 一般 | |
- | 是歳 牛牽軽便軌道二十二哩を敷設す | 当社関係 | |
- | 是歳 台湾土地調査完結す | 一般 | |
明治39年(1906) | - | 【渋沢栄一】大日本麦酒株式会社設立、取締役。南満州鉄道株式会社設立委員。京阪電気鉄道会社創立・創立委員長(後に相談役)。大日本製糖株式会社設立、相談役。名古屋電力株式会社創立・相談役。東海倉庫株式会社創立・相談役。明治製糖創立・相談役。〔66歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月11日 | 児玉総督凱旋後南部巡視の途次当社工場へ来臨、新圧搾機の試運転を縦覧せらる | 当社関係 | |
2月16日 | 橋仔頭第一工場に英国製圧搾機二台新設工事、本日終了試運転を行ふ 従来二重圧搾装置なりしもこれにより三重圧搾を行ふこととなる(バック ローラーに水圧装置を為せるものにして、圧搾機にこの装置を為せるは本島として最初のものなり) | 当社関係 | |
4月1日 | 沖縄県糖業改良事務局官制(勅令第九百号)発布せらる | 一般 | |
4月11日 | 陸軍大将子爵佐久間左馬太台湾総督に任ぜられ、児玉総督依願本官を免ぜらる | 一般 | |
4月14日 | 午前三時二十分嘉義庁下に激震あり、これに因り当社工場用水堰止堤防決潰し、ために同月十九日まで一時製糖を中止す | 当社関係 | |
4月24日 | 東京事務所を東京市日本橋区北島町一丁目三十七番地に移転す | 当社関係 | |
4月 | 是月 工業用酒精、酒類其他酒精含有飲料戻税法(法律第四十六号)及び同法施行規則(勅令第八十六号)公布せらる | 一般 | |
6月30日 | 後藤民政長官一行来社せらる | 当社関係 |