※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治37年(1904) | - | 【渋沢栄一】風邪をこじらせ長期に静養。韓国興業株式会社設立、監督。〔64歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月20日 | 第四回定時株主総会を東京市日本橋区坂本町東京銀行集会所に於て開催(株主配当年八分) | 当社関係 | |
8月20日 | 引続き臨時株主総会を開催、定款改正の件(第二回改正)を議決し、監査役三名任期満了に付改選の結果岡本貞烋、賀田金三郎、津田静一の三名当選重任、取締役一名選挙の結果山本悌二郎当選す | 当社関係 | |
9月22日 | 台湾総督府より本年度補助金四万円下附せらる | 当社関係 | |
10月8日 | 後藤民政長官一行、当社工場を縦覧せらる | 当社関係 | |
10月8日 | 非常特別関税附加により外糖輸入税率変更せらる | 一般 | |
11月10日 | 台湾地租規則発布せらる | 一般 | |
12月7日 | 曾て橋仔頭停車場敷地七千三百六十七坪を其の筋へ献納したる廉により、銀杯一個を下賜せらる | 当社関係 | |
12月22日 | 曾て打狗運河浚渫費の内へ金一千五百円寄附したるに対し、銀杯一個下賜せらる | 当社関係 | |
- | 是歳 牛牽軽便軌道七哩五分を敷設す | 当社関係 | |
- | 是歳 鳳山庁大竹里籬仔内庄に振詳製糖場設立せらる(改良糖〓[まだれ+部]の創始) | 一般 | |
明治38年(1905) | - | 【渋沢栄一】韓国皇帝より勲一等太極章。移転した養育院感化部井之頭学校と改称、開校式。徳川慶喜・伊藤博文らを飛鳥山邸(曖依村荘)に招待、茶室・無心庵にて午餐会。〔65歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 非常特別税法中砂糖消費税増徴の法律発布施行せらる | 一般 | |
1月14日 | 維新製糖合股会社事業休止を出願す | 一般 | |
2月1日 | 台湾総督府は大目降甘蔗試作場に糖業講習所を設置し、砂糖農工方面下級技術者の養成に着手す(府告示第七号) | 一般 | |
2月19日 | 原料買収区域内甘蔗栽培奨励の目的を以て、当社構内に第一回競蔗会を開催す。この競蔗会は明治四十四年、第七回まで毎年之を開催せり | 当社関係 | |
3月8日 | 当社所有大租権は総督府に買上げられ、その補償として公債証書を下附せらる | 当社関係 | |
3月10日 | 奉天の大会戦 | 一般 | |
3月16日 | 精糖戻税法施行せらる | 一般 | |
3月23日 | 臨時株主総会を東京市麹町区有楽町東京商業会議所に於て開催、取締役一名補欠選挙の結果藤田四郎当選し、定款改正(第三回改正)の結果取締役会長及び常務取締役制となる。益田孝取締役辞任に付同氏を相談役に推薦し、鈴木取締役社長辞任に付謝意を表する事を議決す、尚定款改正の結果藤田四郎取締役会長に、山本悌二郎、武智直道両名常務取締役となる | 当社関係 | |
3月29日 | 特設電話加入に依り事務の敏速を計るため橋仔頭停車場に電話架設を出願す | 当社関係 | |
6月7日 | 製糖場取締規則(府令第三十八号)発布せらる(製糖業を許可制とし、原料採取区域制実施せらる) | 一般 |