台湾製糖(株)『台湾製糖株式会社史』(1939.09)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治34年(1901) - 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 渋沢関係略年譜
- 是歳 札幌製糖株式会社解散す 一般
明治35年(1902) - 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 渋沢関係略年譜
1月15日 橋仔頭工場愈々本格的に製糖を開始す 当社関係
1月15日 橋仔頭に守備分遣隊一小隊派遣せられ、会社より提供せる新築兵舎に駐屯の事となる 当社関係
1月 (至五月)台湾総督府は技手今井兼次をして布哇産甘蔗種苗ローズバンブー、ラハイナを輸入せしむ 一般
2月1日 糖業技術私費伝習生規則制定せらる 一般
2月8日 原料運搬用軽便軌道第一線約二哩半、第二線約一哩半、合計四哩の工事本日までに順次竣功す 当社関係
2月18日 帳簿書類及び営業状況等検査のため総督府より検査官出張せらる 当社関係
3月11日 製品三千百余俵を、安平より南越丸積にて始めて上海及び寧波へ輸出す 当社関係
4月25日 台湾総督府糖業技術伝習生第一回卒業生十名を出す 一般
4月28日 汽船台北丸、製品一千俵を搭載し横浜に入港す 当社関係
5月6日 原料甘蔗官線鉄道輸送に対する割引運賃許可指令を受く 一般
5月8日 台湾島民本日を以て我が国籍に編入せらる 一般
5月20日 第四回株金払込完了す(一株六円五十銭、総額十三万円、総払込資本金七十五万円) 当社関係
5月25日 第一年度製糖終了す 当社関係
5月30日 台湾南部匪首林少猫、呉万興、林天福等誅せらる 一般
6月3日 監査役長尾三十郎辞任す 当社関係
6月14日 台湾糖業奨励規則(律令第五号)並に施行細則(府令第四十三号)制定発布せらる 一般
6月17日 臨時台湾糖務局官制(勅令第二百十八号)発布せらる 一般
6月17日 新渡戸稲造臨時台湾糖務局長を命ぜらる 一般
6月19日 台湾総督府民政部殖産局台南出張所廃止せらる 一般
PAGE TOP