※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和17年(1942) | - | 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | 名張自動車が阿波自動車を合併し、伊賀自動車に改称 | 関連事項 | |
11月 | 三重乗合自動車本社内に三重県旅客自動車運輸事業統合事務所を設置 | 関連事項 | |
昭和18年(1943) | - | 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 関西急行鉄道が大阪鉄道を合併 | 関連事項 | |
4月30日 | 第25回定時株主総会において株式配当年8分を可決(1分増配) | 会社の動き | |
7月 | 三重県貨物自動車運送設立 | 関連事項 | |
11月 | 三重乗合自動車が三重交通運輸を合併 | 関連事項 | |
12月24日 | 臨時株主総会において北勢電気鉄道、三重鉄道、三重乗合自動車、松阪電気鉄道、志摩電気鉄道、伊賀自動車の合併を承認 | 会社の動き | |
12月 | 三重乗合自動車が南紀自動車ほか25業者を合併 | 関連事項 | |
12月 | 北勢電気鉄道ほか5社も同時に臨時株主総会を開催し、それぞれ合併を承認 | 関連事項 | |
昭和19年(1944) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 | 渋沢関係略年譜 |
1月10日 | 鉄道鋼索朝熊線(楠部~平岩~朝熊岳)を営業休止 | 会社の動き | |
2月11日 | 北勢電気鉄道、三重鉄道、三重乗合自動車、松阪電気鉄道、志摩電気鉄道、伊賀自動車を合併、社名を三重交通に改称 | 会社の動き | |
2月11日 | 433万円増資(資本金833万円) | 会社の動き | |
2月11日 | 本社を津市丸之内本町2106番地に移転、社則を全文改正、社紋を制定 | 会社の動き | |
2月11日 | 桑名、四日市、津、松坂、宇治山田、鳥羽、上野、木本に支社、本社に総務、経理、鉄道、自動車、技術の各部を設置 | 会社の動き | |
2月28日 | 取締役会長に井内彦四郎氏、専務取締役に安保正敏氏が就任 | 会社の動き | |
4月1日 | 鉄道運賃改正(キロ2銭5厘)、軌道運賃改正(区5銭、5区制) | 会社の動き | |
4月30日 | 第27回定時株主総会において株式配当を第一種、第二種、第三種、それぞれ年9分、8分、3分に可決 | 会社の動き | |
4月 | 関西急行鉄道が信貴山急行電鉄、南和電気鉄道を合併 | 関連事項 | |
5月16日 | 自動車路線の名称を制定(69路線) | 会社の動き | |
6月 | 関西急行鉄道が南海鉄道と合併、近畿日本鉄道設立 | 関連事項 |