※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和25年(1950) | - | 【渋沢敬三】ユニバーサル広告社社員(~1951年)。 | 渋沢関係略年譜 |
3月6日 | 臨時株主総会において取締役嶋田信吉、瀬之口虎男、浜勘一及び上中龍男の四氏再選重任し、引続き開催の取締役会において取締役社長に嶋田信吉、常務取締役に瀬之口虎男、浜勘一及び上中龍男の三氏が選任され就任。 | ||
3月8日 | 当社創立三周年記念式典を挙行し、本社においては引続き文化祭を開催した。 | ||
3月23日 | 栄昌丸A・B船級取得工事を川南工業香焼島造船所において着工した。 | ||
3月27日 | 新屯丸船長柳沢誠三郎ほか乗組員及び古城丸甲板長山口信一は社長より表彰状を授与された。 | ||
4月1日 | 船舶運航管理令の廃止に伴い、日本船舶は船主の自営運航となる。 | ||
4月1日 | 会社機構の一部を次の通り改正した。(1)本社 1総務部経理課を廃し、新に経理部を設け、主計課及び会計課を置く。2営業部は従来の営業課、業務課及び調査課を廃し、新に企画課、外航課、内航課及び査業課を置く。3船舶部工務課の調度関係事務を分離独立せしめ、調度課を置く。(2)大阪事務所及び名古屋事務所をそれぞれ大阪出張所及び名古屋出張所に改める。(3)室蘭及び八幡に駐在員を置く。(4)名古屋出張所の管轄を本社より神戸支店に移管する。 | ||
4月17日 | 支店長会議を本社において開催した。 | ||
5月26日 | 当社株式は新潟証券取引所に上場されることとなつ[っ]た。 | ||
6月5日 | 山東丸は宮古島東平安名崎にて座礁した。 | ||
6月23日 | 山東丸は宮古島東平安名崎にて沈没し、同船救助に赴いた新屯丸も同時に沈没した。 | ||
9月1日 | 大阪出張所を左記へ移転した。大阪市北区宗是町一大阪ビル内 | ||
9月4日 | 博多出張所を左記へ移転した。福岡市別府北町二丁目五三ノ一 | ||
10月29日 | 東鳳丸の進水式を西日本重工業長崎造船所において挙行した。 | ||
12月1日 | 会社機構の一部を次の通り改正した。一、門司支店課制並びに八幡駐在員事務所を廃止する。二、総務部株式課を経理部株式課に編成替えする。 | ||
12月10日 | 横浜出張所を左記へ移転した。横浜市中区海岸通リ三丁目九番地横浜ビル第四〇二号室 | ||
12月15日 | 第七回定時株主総会において監査役に奥谷愛昶及び佐藤信二の両氏が再選され重任。 | ||
12月18日 | 古城丸、青森県深浦沖において遭難沈没し、乗組員全員殉職した。 | ||
12月30日 | 栄順丸は石炭積載のため室蘭に向う途中遭難漂流した。 | ||
昭和26年(1951) | - | 【竜門社】文部省史料館に日本実業史博物館準備室資料を寄託する。機関誌『青淵』を渋沢青淵記念財団竜門社から発刊する。【渋沢敬三】追放解除。 | 渋沢関係略年譜 |
1月5日 | 第六次計画造船第一船東龍丸の起工式を西日本重工業長崎造船所において挙行した。 | ||
1月16日 | 第六次計画造船第二船東山丸の起工式を東日本重工業横浜造船所において挙行した。 |