※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月1日 | 電報の無緘配達を原則とする | 電信年表 | |
9月1日 | 関東大震災により東京中央電信局ほか市内局(京橋、深川、本所、浅草、下谷、神田、九段、麹町、赤坂、葵町、芝等)罹災 | 電信年表 | |
大正13年(1924) | - | 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 | 渋沢関係略年譜 |
4月1日 | 放送無線電報規則施行(3.24制定) | 電信年表 | |
6月17日 | 東京中央電信局で音響通信に初めて和文タイプライタ使用 | 電信年表 | |
8月25日 | 東京~大阪局間に鍵盤ページ式複二重印刷機使用 | 電信年表 | |
9月15日 | 東京無線電信局設置 | 電信年表 | |
大正14年(1925) | - | 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 | 渋沢関係略年譜 |
5月20日 | 東京~大阪間で米国製ページ式和文印刷電信機を実験 | 電信年表 | |
5月26日 | 東京~大阪局間にコルン式写真電送機による電送写真を実験 | 電信年表 | |
9月25日 | 近接地電報の取扱い開始 | 電信年表 | |
11月1日 | 託送電報発受心得施行(10.30制定) | 電信年表 | |
11月1日 | 電報料金改正(基本料金15字以内と5語以内30銭、累加5字および1語以内5銭) | 電信年表 | |
大正15年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
4月11日 | 東京~京城(ソウル)間に無線電信連絡開始 | 電信年表 | |
7月17日 | 東京中央電信局、銭瓶町の新局(白亜の殿堂)へ移転 | 電信年表 | |
12月15日 | クリスマスおよび新年祝賀特別外国電報規則施行(12.14制定) | 電信年表 | |
昭和2年(1927) | - | 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
6月1日 | 東京~大阪間で米国製ページ式和文印刷電信機による通信開始 | 電信年表 | |
6月11日 | 電信自動交換による通信開始 | 電信年表 | |
8月7日 | 磐城無線電信局廃止 | 電信年表 | |
11月1日 | 電報料金の切手別納制度施行(10.15制定) | 電信年表 | |
昭和3年(1928) | - | 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
3月26日 | 東京中央電信局対京橋、神田、深川、日本橋本町、日本橋分室および東京中央郵便局の各局と気送管通信開始 | 電信年表 | |
10月7日 | 本所、本郷、芝、新橋、葵町および日本橋通の各局気送管通信開始 | 電信年表 |