日本製粉(株)『日本製粉社史 : 近代製粉120年の軌跡』(2001.04)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治元年(1868) - 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 渋沢関係略年譜
9月8日 明治と改元 業界・社会一般事項
明治2年(1869) - 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 渋沢関係略年譜
7月8日 開拓使設置 業界・社会一般事項
明治3年(1870) - 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 渋沢関係略年譜
5月9日 北海道開拓次官に黒田清隆就任(7年8月開拓長官) 業界・社会一般事項
明治4年(1871) - 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 渋沢関係略年譜
5月 札幌に開拓使庁設置 業界・社会一般事項
7月10日 この年春渡米の北海道開拓次官黒田清隆が顧問に招膀したホーレス・ケプロン(66歳)が3人の補佐とともに横浜到着。ケプロンの指導により北海道殖産事業が進められる 業界・社会一般事項
明治5年(1872) - 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 渋沢関係略年譜
5月 開拓使、器械場(工業団地)を、東創成町南一条から北一条に至る地域に設置 業界・社会一般事項
- 開拓使10ヵ年計画実施へ 業界・社会一般事項
明治6年(1873) - 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 渋沢関係略年譜
4月 殖産事業の一つとして官営札幌製粉所設立。わが国最初の輸入(米国)石臼製粉器使用。動力は水車タービン、5月から操業開始、事業は成功せず8年には放置 当社関連事項
明治8年(1875) - 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 渋沢関係略年譜
5月23日 ホーレス・ケプロン帰国 業界・社会一般事項
明治9年(1876) - 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 渋沢関係略年譜
7月1日 三井銀行開業 業界・社会一般事項
7月29日 三井物産設立認可 業界・社会一般事項
11月 開拓使による新製粉工場(磨粉機械所と称す)、札幌の南一条東3丁目に完成、翌年から操業。先の石臼製粉器を移転設置したわが国最初の蒸気機関使用の石臼製粉工場(15バーレル程度) 当社関連事項
明治10年(1877) - 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 渋沢関係略年譜
2月15日 西南戦争始まる(9月24日終結) 業界・社会一般事項
8月21日 第1回内国勧業博覧会(東京・上野) 業界・社会一般事項
12月 磨粉機械所、物産局へ移管(16年2月農商務省へ移管) 当社関連事項
明治11年(1878) - 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 渋沢関係略年譜
5月1日 パリ万国博に日本参加 業界・社会一般事項
明治12年(1879) - 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 渋沢関係略年譜
- 雨宮敬次郎、東京小名木川畔(南葛飾郡八右衛門新田2番地。のちの日本製粉株式会社発祥の地、深川区東扇橋町8番地〉に製粉工場「泰靖社」設立。輸入(米国)石臼製粉器(40バーレル)、蒸気機関使用 当社関連事項
- 大蔵省常平局、浅草蔵前に官営模範工場として製粉工場設立(15年国債局に移管)。松方正義がフランスから持ち帰った石臼製粉器使用、動力は蒸気機関(30バーレル) 当社関連事項
明治13年(1880) - 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 渋沢関係略年譜
2月28日 横浜正金銀行開業 業界・社会一般事項
11月5日 工場払下概則制定(官営工場・鉱山の払下げ始まる) 業界・社会一般事項
PAGE TOP