東京コークス(株)『東京瓦斯のコークス変遷史』(1966.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治3年(1870) - 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 渋沢関係略年譜
8月12日 独逸商社シキルツ・ライス横浜にガス灯を建設すべく免許を申請す 東京瓦斯(東京、横浜の瓦斯局を含む)
10月16日 高島嘉右衛門等九名の社中横浜にガス灯建設の許可を出願し許可の内示を受く、一一月仏人ガス技師プレグラン横浜に到着、一二月ガス灯建設の許可おりる 東京瓦斯(東京、横浜の瓦斯局を含む)
10月20日 工部省設置 その他
明治4年(1871) - 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 渋沢関係略年譜
2月15日 政府は貨幣制度確立のため大阪造幣寮(後に局に改む)を創設、本日開業式挙行、局内にガス製造所を建設、同年八月街灯六五基、室内六二一ヵ所に点灯、規模(当初)窯径一尺、長さ六尺三個のもの二ヵ所築造、ガス溜径二一尺を装置、また骸炭製造所としてビーハイブ窯一一座を築造し、同年四月から高島炭を使用してコークスを製造、金銀熔解の用に供す コークス関係
2月 由利公正(後の東京府知事)東京にガス灯建設を計画、先ず浅草新吉原に試用せんとし、江戸町会所の共有金をもつて、英国よりガス製造器械の購入を高島嘉右衛門に依嘱、翌年七月器械到着 東京瓦斯(東京、横浜の瓦斯局を含む)
7月14日 廃藩置県布告 その他
- この年、大阪造幣寮ガス製造窯二基増設、ついでガス溜径三二尺のものを増設 コークス関係
明治5年(1872) - 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 渋沢関係略年譜
3月27日 鉱山心得書公布 その他
5月 兵庫ガス商会(神戸在住の外人商社)ガス灯建設の許可を兵庫県へ出願 その他
6月15日 瓦斯供給条例神奈川県令陸奥宗光により公布さる、これわが国に於る最初のガス供給規定である 東京瓦斯(東京、横浜の瓦斯局を含む)
7月 郵便制度全国に普及 その他
9月12日 新橋横浜間に鉄道敷設本日開業 その他
9月29日 ガス灯初めて横浜に点火さる(我が国ガス事業の起源)//設備―水平レトルト五本 製造能力三万立方呎/日//三万立方呎ガス溜一基//街灯―大江橋通、馬車通、本町通間に一〇数基 東京瓦斯(東京、横浜の瓦斯局を含む)
12月3日 太陽暦採用(本日を以て明治六年一月一日とす) その他
- この年、米国に電灯事業起る その他
明治6年(1873) - 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 渋沢関係略年譜
1月10日 徴兵令施行 その他
6月6日 浅草新吉原にガス灯建設の儀一転して東京会議所が府下各所に建設することとなる 東京瓦斯(東京、横浜の瓦斯局を含む)
8月 横浜ガスの製造設備など全規模の工事竣工//工場―横浜市花咲町五丁目(敷地二千坪)//設備―水平五本式発生炉八門//製造能力八万立方呎/日//ガス溜容量三万立方呎一基 東京瓦斯(東京、横浜の瓦斯局を含む)
12月12日 東京会議所ガス灯建設を許可され敷地として芝浜崎町に三、四二三坪の地の貸下げを得、ガス技師プレグランを雇入れ、高島嘉右衛門と請負契約を結びガス製造工場の建設に当らせる 東京瓦斯(東京、横浜の瓦斯局を含む)
- 浅野総一郎横浜住吉町にて薪炭商を営み、後石炭販売を兼業す、翌年石炭商専業となる コークス関係
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