※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治6年(1873) | - | 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | この年、大阪砲兵工廠に鋳造工場創設 | その他 | |
- | この年、大蔵省土木寮建築局の手により深川区清住町一番地に摂綿篤(セメント)製造所を創設 | その他 | |
明治7年(1874) | - | 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 深川摂綿篤(セメント)製造所、内務省より工部省に移管され深川製作寮出張所と改称、宇都宮三郎同所監督となる | コークス関係 | |
4月4日 | 台湾征討開始 | その他 | |
10月 | 宇都宮三郎深川摂綿篤製造所内にコークス窯を新設しセメント焼成用の燃料を自給するとともにその余熱を利用して原料スロリー(泥)の乾燥を行なう | コークス関係 | |
11月 | 兵庫ガス商会内務省の許可によりガス灯を点火、居留地内のみを供給区域として開業、後兵庫瓦斯株式会社と改称(明治三九年神戸瓦斯株式会社に合併) | その他 | |
12月18日 | 東京に初めてガス灯点火さる//街灯―金杉橋京橋間に八五基、工場製造能力―二万五千立方呎/日 | 東京瓦斯(東京、横浜の瓦斯局を含む) | |
明治8年(1875) | - | 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月1日 | 横浜のガス事業は経営者高島嘉右衛門から第一大区町会の手に移り公有事業となり「瓦斯局」と改称 | 東京瓦斯(東京、横浜の瓦斯局を含む) | |
明治9年(1876) | - | 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月25日 | 東京会議所はその行務科の事業を悉く東京府に引渡す、東京府は「瓦斯局」を設置し事務長に渋沢栄一を任用 | 東京瓦斯(東京、横浜の瓦斯局を含む) | |
明治10年(1877) | - | 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 浅野総一郎、横浜瓦斯局よりコークスを払下げ、深川工作分局へ納入、渋沢栄一の知遇を得る | コークス関係 | |
2月15日 | 西南の役勃発 | その他 | |
3月 | 古河市兵衛足尾銅山の経営をはじむ | その他 | |
6月 | 横浜瓦斯局本月より向う三ヵ年間コークス及びタールの売捌方を浅野総一郎と契約 | コークス関係 | |
8月21日 | 東京上野に於て第一回内国勧業博覧会開催 | その他 | |
- | この年、浅野総一郎西南戦争のため全国の汽船御用船に徴発され石炭の価格暴騰し一挙に巨利を占む | コークス関係 | |
明治11年(1878) | - | 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月25日 | 我が国最初の電灯、中央電信局の開局祝賀式会場、虎の門工部大学大ホールに点灯された、同大学学生藤岡市助及び中野初子による | その他 | |
- | この年、米人エジソン電球を発明 | その他 | |
明治12年(1879) | - | 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 渋沢栄一瓦斯局長となる | 東京瓦斯(東京、横浜の瓦斯局を含む) | |
12月 | 東京瓦斯局の設備拡張工事竣工、製造能力九万立方呎/日となる | 東京瓦斯(東京、横浜の瓦斯局を含む) | |
- | この年、浅草の吉川幸七東京瓦斯局のコークスを払下げを受けこれを硝子工場に販売、これに味を占めコークス製造所を設けたという | コークス関係 |