※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治13年(1880) | - | 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月15日 | 政府は「工場払下概則」公布、これにより官営諸工場は軍需工場と交通事業を残して漸次払下げられることとなる | その他 | |
- | 釜石製鉄所高炉(二五トン)竣工、設備は全部英国製、製品は不良、明治一六年に官行廃止 | コークス関係 | |
明治14年(1881) | - | 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 農商務省開設 | その他 | |
7月 | 浅野総一郎等、東京瓦斯局を廉価にて払受けんと運動を起したが、瓦斯局長渋沢栄一これを拒絶す | 東京瓦斯(東京、横浜の瓦斯局を含む) | |
12月 | 官営釜石鉱山始めてコークスを製造 | コークス関係 | |
- | この年、大蔵省衛生試験所は横浜瓦斯局及び東京瓦斯局からコールタールを買上げ、浅草蔵前所在の試験所に於て石炭酸製造に着手 | コークス関係 | |
明治15年(1882) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 工部省深川工作局に於てコークスを製造し試用 | コークス関係 | |
6月8日 | 横浜瓦斯局コークス及びコールタールの入札広告を東京日日新聞に掲載 | コークス関係 | |
9月28日 | 東京瓦斯局コールタール及びコークス売却案(公売入札の方法)東京府区部常置委員会にて議決 | コークス関係 | |
10月1日 | 日本銀行開業 | その他 | |
10月25日 | 東京瓦斯局コークス売却方法議案(望み人少なく一時入札を中止)常置委員会にて可決 | コークス関係 | |
明治16年(1883) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月15日 | 東京電灯会社設立を許可さる | その他 | |
4月16日 | 浅野総一郎は渋沢栄一その他の助力を得て、深川工作分局セメント工場を借受く、翌一七年九月一九日同工場を譲受け浅野工場と命名 | コークス関係 | |
4月 | 西村勝三深川セメント工場内の耐火煉瓦工場を払受け、芝浜崎町瓦斯局の傍に伊勢勝白煉瓦製造所を設く。後に府下北品川御殿山下に移し品川白煉瓦製造所と呼称 | その他 | |
- | この年、大阪造幣局ガス製造窯改造、窯径一尺二寸五分長さ一八尺のもの五個を三ヵ所、ガス溜径四四尺に改造 | コークス関係 | |
明治18年(1885) | - | 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 東京府会は東京瓦斯局を売却し民営移管を決議 | 東京瓦斯(東京、横浜の瓦斯局を含む) | |
10月1日 | 東京府より瓦斯局の払受けを完了、製造能力九万立方呎/日//需用家三四三件 街灯数四〇〇基//本社を芝浜崎町三番地に置き営業を開始本日を以て東京瓦斯会社創立の日と定む | 東京瓦斯(東京、横浜の瓦斯局を含む) | |
12月21日 | 会社役員決定、委員長渋沢栄一、委員兼検査掛須藤時一郎、委員浅野総一郎 委員大倉喜八郎、支配人笹瀬元明 | 東京瓦斯(東京、横浜の瓦斯局を含む) | |
12月22日 | 太政官制を廃止し内閣制の制定に伴い工部省を廃止、鉱山の事務は農商務省に移管 | その他 | |
明治19年(1886) | - | 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 | 渋沢関係略年譜 |
7月5日 | 東京電灯会社開業 | その他 |