※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正3年(1914) | - | 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月 | 東京図書出版組合結成 | 社会の歩み | |
11月 | 少年倶楽部(講談社)創刊 | 社会の歩み | |
大正4年(1915) | - | 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 鈴木恒三郎、社賓として毎号、工業経営・労働問題等を執筆 | 当社の歩み | |
4月 | 調査部を開設、株式の有料質問を受付け(七年九月休止) | 当社の歩み | |
4月 | 『ダイヤモンド』特別号「砂糖並に電灯会社比較」を初めて発行 | 当社の歩み | |
5月 | 社説を初めて掲載(六月号) | 当社の歩み | |
5月 | 日華新条約(二一ヵ条条約)調印 | 社会の歩み | |
6月 | 岡本一平ら、第一回漫画祭を開催 | 社会の歩み | |
8月 | 第一回全国中等学校優勝野球大会開催(豊中球場) | 社会の歩み | |
9月 | 婦人の友社、割烹着を考案、発表 | 社会の歩み | |
10月 | 石山賢吉著『決算報告の見方』を刊行、好評を博す | 当社の歩み | |
10月 | 皆川省三、初めての海外特派記者として台湾糖業を取材(視察記を『ダイヤモンド通信』等に掲載) | 当社の歩み | |
11月 | 物価、上昇傾向に転ずる | 社会の歩み | |
12月 | 東京株式市場暴騰(“大戦景気”の始まり) | 社会の歩み | |
大正5年(1916) | - | 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 中央公論社『婦人公論』を創刊 | 社会の歩み | |
2月22日 | 本社を東京市日本橋区蛎殼町一-三に移転 | 当社の歩み | |
2月 | 昨春発行の『ダイヤモンド』特別号以来毎号売切れ | 当社の歩み | |
2月 | 私設鉄道同志会設立(後に私設鉄道協会となる) | 社会の歩み | |
3月4日 | 『ダイヤモンド通信』を創刊(五月十七日号より週二回発行) | 当社の歩み | |
4月 | 『ダイヤモンド』三周年記念号に「全国大株主調べ」を掲載、翌年『全国株主要覧』として単行本化し、以後毎年刊行 | 当社の歩み |