※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正7年(1918) | - | 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月 | 同地に二階建三〇坪、平屋建四〇坪(印刷工場設備を付加)の本社社屋新築落成、十五日に移転 | 当社の歩み | |
11月15日 | 『ダイヤモンド日報』を創刊(『ダイヤモンド通信』を継承) | 当社の歩み | |
11月 | 印刷工場直営を開始 | 当社の歩み | |
11月 | 第一次世界大戦休戦協定調印 | 社会の歩み | |
12月 | 『ダイヤモンド』の販売ルート確立 | 当社の歩み | |
- | この年、会社の新設・増資きわめて盛ん | 社会の歩み | |
大正8年(1919) | - | 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月1日 | 朝鮮独立宣言を発表(三・一運動) | 社会の歩み | |
3月 | 東京市、バスの運行を開始 | 社会の歩み | |
4月 | 『ダイヤモンド』発行を月三回(一・十一・二十一日号)とする | 当社の歩み | |
4月 | 都市計画法公布 | 社会の歩み | |
5月 | 会社組織を資本金六万円の匿名組合とする | 当社の歩み | |
6月 | ベルサイユ講和条約調印 | 社会の歩み | |
8月 | 『ダイヤモンド』一日号に武藤山治の意見書を掲載、吉野作造博士との論争起こる | 当社の歩み | |
9月 | 大阪支局に記者を増派し、大阪市北区樋上町六七に移転 | 当社の歩み | |
9月 | 『ダイヤモンド』十一日号より「重要物価表」「内外経済統計」の掲載を始める | 当社の歩み | |
9月 | 株式市場・商品市場の投機ブーム激化 | 社会の歩み | |
10月11日 | 名古屋日報を引き継ぎ、夕刊紙を発行 | 当社の歩み | |
- | この年から大正九年三月まで“戦後ブーム” | 社会の歩み | |
大正9年(1920) | - | 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月8日 | 名古屋日報への経営参加終了 | 当社の歩み | |
1月 | 国際連盟発足 | 社会の歩み |