※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治34年(1901) | - | 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月19日 | 足利織物買継商阿部茂吉、支払停止 | 業界・一般 | |
2月 | 『約束手形鑑定法』(坂本生成著)発刊 | 当社関連 | |
4月16日 | 大阪地方に銀行恐慌勃発、各地へ波及 | 業界・一般 | |
4月 | 銀行取付、大阪・奈良・京都・名古屋・三重・長崎各地方に蔓延。商工界に倒産続出 | 業界・一般 | |
4月 | 東京興信所、ブラッドストリート社と通信交換契約を締結 | 業界・一般 | |
5月13日 | 大阪銀行界に2度目の取付勃発、支払停止銀行出る | 業界・一般 | |
10月25日 | 大審院、銀行や商人の間で広く行なわれている根抵当につき、その有効性を認めると判決 | 業界・一般 | |
明治35年(1902) | - | 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月30日 | 日英同盟協約調印 | 業界・一般 | |
1月 | 雑誌『商海時報』、『帝国経済雑誌』に改題 | 当社関連 | |
1月 | 『帝国経済雑誌』誌上で広告取次部開設を予告 | 当社関連 | |
2月22日 | 後藤武夫、北清馬蹄銀分捕問題恐喝取材の疑いで拘引されるが、3日後に釈放となる | 当社関連 | |
6月 | 本所を東京市京橋区南鍛冶町3番地に移転 | 当社関連 | |
7月 | 社名を帝国興信所に変更 | 当社関連 | |
9月1日 | 名古屋手形交換所開業 | 業界・一般 | |
9月 | 商業興信所、セード社、シンメルフェング社、コンテンチライズリヨネー社と通信契約を締結 | 業界・一般 | |
- | (秋)本所を東京市芝区愛宕町2丁目2番地に移転 | 当社関連 | |
- | 人事興信所設立 | 業界・一般 | |
明治36年(1903) | - | 【渋沢栄一】東宮御慶事奉祝会副会長・会計監督。インフルエンザ罹患、喘息を併発。京釜鉄道株式会社理事。日印協会創立・会員(後に会頭)。〔63歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月20日 | 全国手形交換所連合会開催(以後毎年1回開催) | 業界・一般 | |
8月22日 | 東京電車鉄道、新橋―品川駅前間開業(東京における路面電車営業の最初) | 業界・一般 | |
10月21日 | 大蔵大臣曽祢荒助は、日本銀行松尾総裁らを大蔵省に招き、「外国の例を参考にして興信所のような制度の育成・発達に努めること」と指示 | 業界・一般 |