※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和29年(1954) | - | 【竜門社】渋沢栄一伝記資料刊行会を組織し、『渋沢栄一伝記資料』全58巻の編集を開始する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | ★昨年六月廿四日、アーニイパイル返還訴証[訴訟]が勝訴したにも拘らず政府は更に六ヶ月間(廿八・七・廿八―廿九・一・廿七)の強制使用を行つたので、総理大臣の使用認可と都収用委員会の収用裁決とに対し二つの訴訟を起し、その取消を請求の処、二十日東京地裁は「駐留軍の娯楽施設に供するため私人所有の劇場をその意に反して強制的に取上げることは安全保障条約に違反する」ものとして使用認可を取消し、同じく民事第三部も右の裁決を取消す(廿六日)併し乍ら政府は更に一ヶ年(廿九・一・廿八―卅・一・廿七)の強制使用を続行せんとするので、これに対し更に取消訴訟を提起(廿九日) | 東宝の動静 | |
2月6日 | ★ブラジル国際映画祭に日本代表として出席のため、米本正参与は越路吹雪、新珠三千代、作曲家河村篤二の三氏を同行羽田出発 | 東宝の動静 | |
3月4日 | ★新劇場建設の一環として、札幌市南一条西一丁目一番地に新劇場建築を立案中であつたが、愈々地鎖祭の運びとなる | 東宝の動静 | |
3月8日 | ★撮影所新ステージ、地鎖祭。新ステージは冷煖房、換気その他に画期的な機能を誇る我国最新の大ステージとなる予定 | 東宝の動静 | |
3月20日 | ★監査役一名任期満了に依り、土屋計左右氏再選重任 | 東宝の動静 | |
3月 | ★東宝映画舞踊研究所第一回研究生募集(女子廿一日、男子廿八日) | 東宝の動静 | |
4月5日 | ★昨年来の計画であつたインドネシア・ナショナル・フイルム株式会社(略称ペルフイニ)と当社との提携映画製作は、インドネシア政府の拒否に依つて実現不能となる | 東宝の動静 | |
4月7日 | ★ブラジル国際映画祭に出席の越路吹雪、新珠三千代、河村篤二の三氏帰国 | 東宝の動静 | |
4月8日 | ★全社を挙げて、サービス精神高揚を期し「サービス週間」実施(14日まで) | 東宝の動静 | |
4月26日 | ★各方面から期待と話題をあつめた「七人の侍」完成封切。大作の威力を発揮して、所謂ゴールデン・ウイークに独走を続ける(5月4日まで) | 東宝の動静 | |
4月27日 | ★オードリイ・ヘップバーン主演「ローマの休日」日比谷映画劇場に公開。空前の人気を呼ぶ(6月3日まで) | 東宝の動静 | |
5月18日 | ★入場税国税移管となり、入場料は平均二剖弱の引下げとなる | 東宝の動静 | |
5月20日 | ★第一回東南アジア映画祭に当社出品の「山の音」は監督賞、録音賞、男優賞、女優賞の四部門賞に輝く | 東宝の動静 | |
7月3日 | ★スイス、ロカルノに於て開催される映画製作者協会国際連盟臨時総会に、映連代表として出席のため馬淵威雄取締役出発 | 東宝の動静 | |
7月9日 | ★大阪、梅田ビル東隣地に建築中のO・Sミユージック・ホール落成。日劇ミュージック・ホールと同様、新機軸のショウ劇場として開場 | 東宝の動静 | |
7月10日 | ★日伊合作映画「蝶々夫人」の製作打合せのため森岩雄取締役渡伊 | 東宝の動静 | |
7月21日 | ★伊ガローネ・プロとの間に「蝶々夫人」に関する製作打合せを了し、森岩雄取締役帰国 | 東宝の動静 | |
8月18日 | ★ヴエニス映画祭に日本代表として出席のため川喜多長政取締役、八千草薫、寿美花代の二氏同伴出発 | 東宝の動静 | |
8月19日 | ★馬淵威雄取締役米国経由帰国 | 東宝の動静 | |
8月25日 | ★ノラ・ケイ女史再び日劇その他に来演、前回同様小牧バレエ団と10月の合同公演を行い「カフエ・バア・カンカン」等好評(日劇第一回公演廿五日―卅日) | 東宝の動静 |