東宝映画(株)『東宝映画拾年史抄』(1942.09)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正7年(1918) - 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 渋沢関係略年譜
- 映画芸術協会生れ「生の輝き」出て、花柳はるみ他女優生る。(八年封切) 小社創立以前史
- 向島代表作「不如帰」「生ける屍」出る。 小社創立以前史
大正8年(1919) - 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 渋沢関係略年譜
- 「イントレランス」帝劇封切に際し特等入場料拾円とる。国際活映株式会社創立。(国活) 小社創立以前史
大正9年(1920) - 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
- 松竹キネマ資本金五百万円にて創立蒲田撮影所開設。 小社創立以前史
- 帝国キネマ演芸株式会社創立。(帝キネ) 小社創立以前史
- 大正活映株式会社資本金壱百五拾万円にて創立。(大活) 小社創立以前史
大正10年(1921) - 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 渋沢関係略年譜
- 「路上の霊魂」「虞美人草」出て栗島すみ子を中心に女優全盛時代を画す。 小社創立以前史
大正11年(1922) - 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 渋沢関係略年譜
- 外国映画会社支社を設置。 小社創立以前史
- マキノプロダクシヨン興り時代劇に新生面を拓く。 小社創立以前史
大正12年(1923) - 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 渋沢関係略年譜
- 関東大震災により日活松竹撮影所京都へ移転し、現代劇は関東、時代劇は関西で製作の慣例となる。 小社創立以前史
大正13年(1924) - 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 渋沢関係略年譜
- 小唄映画「籠の鳥」大ヒツト、一方「清作の妻」「街の手品師」(十四年)出て映画芸術の曙光を見る。 小社創立以前史
- マキノを合体東亜キネマ株式会社創立。 小社創立以前史
大正14年(1925) - 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 渋沢関係略年譜
- 映画検閲全国統一さる。 小社創立以前史
大正15年(1926) - 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
- 松之助逝き剣戟映画全盛となり昭和初頭にかけ虚無主義的映画続出(「雄呂血」「浪人街」等)。 小社創立以前史
- プロダクション乱立時代となる。 小社創立以前史
昭和2年(1927) - 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 渋沢関係略年譜
- ミナトーキーにて松本幸四郎の「素袍落」小山内薫の「黎明」封切。 小社創立以前史
昭和4年(1929) - 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 渋沢関係略年譜
- 「生ける人形」其他所謂傾向映画数種生る。 小社創立以前史
- 最初のトーキー「進軍」「南海の唄」「レツドスキン」輸入さる。 小社創立以前史
- マキノトーキー「戻橋」ミナトーキー「大尉の娘」出る。 小社創立以前史
昭和5年(1930) - 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 渋沢関係略年譜
- 日活ミナトーキー「ふるさと」帝キネ「子守唄」、松竹イーストフオン、サウンド版「大都会」作る。 小社創立以前史
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