東宝映画(株)『東宝映画拾年史抄』(1942.09)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和7年(1932) - 【竜門社】第一次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。【渋沢敬三】第一銀行常務取締役就任。 渋沢関係略年譜
6月 米国三分の一軍縮案声明 社会情勢の進展
6月 シャムに革命勃発立志君主制成立 社会情勢の進展
7月 日活トーキー部を写真化学研究所内に設置 東宝映画発展の跡
7月 京都に極東フヰルム現像所生る 一般映画界の動向
7月 「嵐の中の処女」(第二位)「旅は青空」封切 一般映画界の動向
7月 独仏間に賠償協定成立 社会情勢の進展
7月 英帝国オツタワ会議開く 社会情勢の進展
8月 大橋武雄氏取締役に就任 渋沢秀雄氏監査役に就任 小林一三氏相談役に就任 東宝映画発展の跡
8月 株式会社東京宝塚劇場創立 一般映画界の動向
8月 日活撮影所に大斧鉞、総従業員結束争議、村田、田坂、内田、伊藤、蘆田、小杉、島の七人組脱退事件起る 一般映画界の動向
8月 武藤信義、関東軍司令官、特命全権大使並に関東長官に親補せらる 社会情勢の進展
9月 警視庁の通達に依り写真替り日を木曜日とす 一般映画界の動向
9月 日活脱退七人組独立して新映画社組織 一般映画界の動向
9月 日満議定書調印 社会情勢の進展
9月 我国満洲国を承認す 社会情勢の進展
10月 新スタヂオ竣工(現第一、第二) 東宝映画発展の跡
10月 東京市隣接五郡八十二ケ町村を併せて大東京市出現 社会情勢の進展
10月 松岡洋右氏国際聯盟帝国代表として出発 社会情勢の進展
11月 新ステーヂにて「昭和新撰組」セット撮影開始 東宝映画発展の跡
11月 「花の東京」を最後に日活と絶縁 東宝映画発展の跡
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