東宝映画(株)『東宝映画拾年史抄』(1942.09)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和8年(1933) - 【竜門社】青淵先生の遺言により渋沢家から曖依村荘を受贈する。財団法人渋沢青淵翁記念会が東京・常盤橋公園に青淵先生の銅像を建てる。 渋沢関係略年譜
9月 「キングコング」「出来ごころ」(第一位)封切 一般映画界の動向
9月 伊露不侵略条約成立 社会情勢の進展
10月 「グランド・ホテル」「雨」封切 一般映画界の動向
10月 シムラの日印会商デリーに移さる 社会情勢の進展
10月 独逸国際聯盟並に軍縮会議より脱退 社会情勢の進展
11月 オリエンタル写真工業が国産生フヰルムを完成 一般映画界の動向
11月 米露国交復活交渉成立 社会情勢の進展
12月 株式会社ピーシーエル映画製作所資本金弐拾万円にて設立(当時所員数四九名) 取締役に山本留次、植村泰二、大橋武雄、阿南正茂、増谷麟、森岩雄、監査役に福島茂富、植村金吾の八氏就任、代表取締役に植村泰二氏選任さる 東宝映画発展の跡
12月 ピーシーエル管弦楽団生る 東宝映画発展の跡
12月 日本劇場開場 一般映画界の動向
12月 皇太子殿下御誕生 社会情勢の進展
12月 リンドバーグ大佐大西洋横断飛行に成功 社会情勢の進展
12月 ヒツトラー、ザール地方返還交渉を提案 社会情勢の進展
昭和9年(1934) - 【渋沢敬三】日本民族学会理事就任。 渋沢関係略年譜
1月 「只野凡児」日劇封切大に当る 東宝映画発展の跡
1月 漫画第一回作「動絵狐狸之達引」SY系上映 東宝映画発展の跡
1月 一年十二本計画で製作開始〔写真化学〕 東宝映画発展の跡
1月 岡田時彦逝去 一般映画界の動向
1月 東京宝塚劇場開場 一般映画界の動向
1月 富士写真フヰルム株式会社創立 一般映画界の動向
1月 「街の灯」「会議は踊る」(第二位)封切 一般映画界の動向
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