※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和14年(1939) | - | 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会と共催で「青淵先生生誕百年記念祭」を挙行する。日本実業史博物館建設地鎮祭を挙行する。 | 渋沢関係略年譜 |
8月1日 | 用紙不足で減ページ断行、朝刊10ページ、夕刊4ページ、朝夕刊同時配達区域は夕刊を廃し朝刊12ページとする。第1面の全面広告を廃し記事面に変更 | ||
9月18日 | 物価停止令により定価、広告料金クギ付けとなる | ||
11月23日 | 各社申し合わせ祭日の夕刊を休刊 | ||
昭和15年(1940) | - | 【竜門社】第100回会員総会並に記念展観を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月24日 | 第57回定時株主総会、佐藤新衛、小汀利得両取締役と藤井輝雄監査役重任。定款を追加し、株式裏書譲渡および質権設定を禁止 | ||
2月12日 | 新活字を採用し15段制をとる | ||
4月2日 | 中外物価指数の掲載を休止 | ||
4月16日 | ニューヨーク、ベルリンに通信員を置く | ||
4月22日 | 「週間国際情勢」欄を新設 | ||
7月1日 | 大阪中外商業新報も15段制を実施 | ||
7月24日 | 第58回定時株主総会、大谷浩取締役重任 | ||
7月27日 | さらに減ページ、朝刊8ページとなる | ||
10月1日 | 三井所有の本社株式をすべて本社役員、従業員、特別関係者で保有することに決定、第1回分譲株式を引き取り、社員に分譲 | ||
11月3日 | 中外診療所閉鎖 | ||
昭和16年(1941) | - | 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 初刊8ページ | ||
1月11日 | 新聞紙等掲載制限令公布 | ||
5月21日 | 編集局職制変更、地方産業課を廃止し地方部を置く | ||
5月28日 | 社団法人日本新聞連盟誕生、田中社長が理事長に就任 | ||
6月9日 | さらに減ページ、朝刊平日6ページ、月曜付け4ページとなる | ||
6月30日 | 三井所有本社株式全部の引き取りを終わり、社内株主による自主経営となる | ||
8月1日 | 三井から贈与された2000株を基本財産として「中外福祉会」(社員福祉機関)を設立 |