※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和16年(1941) | - | 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
8月5日 | 用紙制限強まり、日曜付朝刊を4ページ、朝夕刊同時配達区域は6ページとする | ||
9月14日 | 夕刊を週1~2回2ページにする | ||
9月16日 | 臨時株主総会、株式譲渡は取締役会の承認を要する旨、定款改正 | ||
9月22日 | 用紙不足で春場所から相撲星取表を廃止 | ||
9月28日 | 夕刊を2ページにする | ||
12月1日 | 新聞共販制を実施 | ||
12月8日 | 米英に宣戦布告、天気予報が紙上から消える | ||
昭和17年(1942) | - | 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月6日 | 田中社長、「日本新聞会」会長に就任のため辞任、村上幸平常務が社長に就任、小汀利得が主筆に、小田嶋定吉が編集局長になる | ||
2月23日 | 「中外週報」欄廃止 | ||
2月27日 | 臨時株主総会、小田嶋定吉、取締役に就任 | ||
3月26日 | サイゴン、昭南、バンコク、マニラに支局を開設 | ||
5月12日 | 朝刊週1回4ページを週2回とする | ||
5月26日 | 昭和9年6月結成の中外厚生会を解散 | ||
6月23日 | 社員福利増進のため「中外共栄会」結成 | ||
7月24日 | 第62回定時株主総会、佐藤新衛、阪田国三郎、小汀利得3取締役が常務に昇格 | ||
8月6日 | 神奈川、千葉、埼玉の3県版廃止 | ||
10月7日 | 内閣情報局、本社に対し経済関係新聞の合同について指令あり | ||
10月31日 | 大阪中外商業新報は18年の歴史を閉じ廃刊、本社の大阪支社となる | ||
11月1日 | 日刊工業、経済時事両紙を吸収、11業界紙を買収し、「日本産業経済」の題号で新発足、朝刊6ページ(月曜付4ページ)、夕刊2ページを発行 | ||
昭和18年(1943) | - | 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 | 渋沢関係略年譜 |
1月26日 | 第63回定時株主総会、佐藤新衛、小汀利得両取締役重任 |