※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和13年(1938) | - | 【渋沢敬三】国民貯蓄奨励委員会委員。 | 渋沢関係略年譜 |
9月2日 | 本社工場にパディングマシン設置、堅牢・鮮明な染色を行う | 当社事項 | |
10月12日 | 本社工場にテンションレス染色機設置、人絹織物の高品質化を進める | 当社事項 | |
昭和14年(1939) | - | 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会と共催で「青淵先生生誕百年記念祭」を挙行する。日本実業史博物館建設地鎮祭を挙行する。 | 渋沢関係略年譜 |
12月8日 | 絹人絹織物優良工場選奨規定により、国より優良加工場として選奨される | 当社事項 | |
昭和15年(1940) | - | 【竜門社】第100回会員総会並に記念展観を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | この年、軍需用(電線被覆、落下傘)羽二重精練増える | 当社事項 | |
昭和16年(1941) | - | 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
12月8日 | 日本海軍が真珠湾を攻撃し米英に宣戦布告、太平洋戦争始まる | 社会・一般事項 | |
- | この年、防空暗幕布の染色加工が急増 | 当社事項 | |
昭和17年(1942) | - | 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 県内15社の染色業者が3統合体(福井精練、酒井繊維、福井染色)に整理統合 | 当社事項 | |
昭和18年(1943) | - | 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 | 渋沢関係略年譜 |
2月18日 | 政府が企業大整備を実施、軍需物資の増産を図る | 社会・一般事項 | |
2月 | 軍需統制で勝見・鯖江・武生3支工場の石炭配給停止 | 当社事項 | |
9月 | 機械捺染用銅ロール1455本(38・5トン)および捺染機2台を国に供出 | 当社事項 | |
昭和19年(1944) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 | 渋沢関係略年譜 |
3月31日 | 国の転用命令により、勝見支工場の設備・機械をすべて満州の安東柞蚕(株)へ移設 | 当社事項 | |
昭和20年(1945) | - | 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 | 渋沢関係略年譜 |
7月19日 | 米軍機空襲により福井地区焼失、当社も本社工場・支工場全焼 | 当社事項 | |
8月6日 | 広島に世界初の原爆投下、8月9日長崎にも投下 | 社会・一般事項 | |
8月15日 | 終戦を迎え、従業員は工場の焼け跡整理、復興に取り組む | 当社事項 | |
8月15日 | 太平洋戦争(第二次世界大戦)終結、ポツダム宣言受諾 | 社会・一般事項 | |
10月 | 福井県、繊維工業復興対策要綱を決定 | 社会・一般事項 | |
昭和21年(1946) | - | 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 | 渋沢関係略年譜 |
3月1日 | 労働組合法施行 | 社会・一般事項 | |
3月 | 戦後第1回目の生糸輸出、10月には織物も対米輸出 | 社会・一般事項 | |
6月8日 | 福井精練加工(株)従業員組合結成 | 当社事項 | |
6月29日 | 会長に西野幸作、社長に黒川誠三郎就任 | 当社事項 |