※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治36年(1903) | - | 【渋沢栄一】東宮御慶事奉祝会副会長・会計監督。インフルエンザ罹患、喘息を併発。京釜鉄道株式会社理事。日印協会創立・会員(後に会頭)。〔63歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月22日 | 大阪撚糸株式会社と同社工場売買の仮契約を締結、三月十五日同社株主総会に於て之を承認確定を告げたるを以て同月二十一日同社全財産の授受を結了 | ||
3月 | 右[大阪撚糸株式会社]買収工場を当社伝法工場(後に第一紡織工場)として操業開始 | ||
5月1日 | 阿部彦太郎氏と大阪撚糸株式会社より買入れたる工場の営業に付損益分担の仮契約を締結 | ||
7月14日 | 臨時株主総会に於て大阪撚糸株式会社の工場機械其他財産を買入れたる件を承認、同工場の営業に就て当社と阿部彦太郎氏との間に損益分担の組合契約締結の件を決定、監査役二名改選の結果浮田桂造、エヌ・デイ・タタ両氏再選重任 | ||
9月1日 | 新株式第三回払込(一株に付金拾円、合計金拾五万円)を徴収、二十日払込結了 | ||
明治37年(1904) | - | 【渋沢栄一】風邪をこじらせ長期に静養。韓国興業株式会社設立、監督。〔64歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月25日 | 臨時株主総会に於て取締役一名改選の結果川邨利兵衛氏再選重任、定款改正の件を決議 | ||
2月10日 | 対露宣戦布告(六日対露最後通牒、八日仁川沖及び旅順港外海戦) | ||
4月1日 | 非常特別税法公布、本法に依り毛織物消費税を創設即日実施 | ||
4月29日 | 日印貿易合資会社の営業を譲受く | ||
5月1日 | 新株式第四回払込(一株に付金弐拾円、合計金参拾万円)を徴収、二十日払込結了 | ||
5月5日 | 取締役頭取阿部彦太郎氏逝去 | ||
5月27日 | 臨時株主総会に於て取締役頭取阿部彦太郎氏逝去に付取締役補欠選挙を行ひ阿部市蔵氏当選就任//前取締役頭取故阿部彦太郎氏慰労金贈呈の件を決議//取締役会に於て互選の結果中野太右衛門氏頭取に当選就任 | ||
6月16日 | 百三十銀行休業大阪金融界動揺、日本紡織会社支払停止 | ||
7月11日 | 百三十銀行安田家に於て整理を引受け開業 | ||
7月23日 | 定時株主総会に於て監査役二名改選の結果浮田桂造、エヌ、・デイ・タタ両氏再選重任 | ||
7月27日 | 阿部彦太郎氏(先代襲名)と当社の組合営業に係る紡織工場の資本金拾弐万円を織機増設の為め金拾参万円を増加して金弐拾五万円となし双方出資の追加契約を締結 | ||
明治38年(1905) | - | 【渋沢栄一】韓国皇帝より勲一等太極章。移転した養育院感化部井之頭学校と改称、開校式。徳川慶喜・伊藤博文らを飛鳥山邸(曖依村荘)に招待、茶室・無心庵にて午餐会。〔65歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月1日 | 日本紡織株式会社所有の紡織工場買入の契約を同社清算人との間に締結//右工場不動産を抵当として百三十銀行より資金借入の契約を締結//非常特別税法改正、毛織物以外の織物にも価格百分の十の消費税を課し本日より実施 | ||
2月20日 | 臨時株主総会に於て営業年限延長の件、資本金を金弐百五拾万円に増加の件及び定款改正の件を決議、日本紡織株式会社所有紡織工場買入の件を承認 | ||
3月15日 | 増資新株式二万五千株募集、株主に於て全額引受済 | ||
5月1日 | 増資新株式第一回払込(一株に付金拾弐円五拾銭、合計金参拾壱万弐千五百円)を徴収、十二日払込結了 |