※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治33年(1900) | - | 【渋沢栄一】京釜鉄道株式会社創立委員長。日本興業銀行設立委員(後に監査役)。男爵を授けられる。黒須銀行相談役。〔60歳〕【竜門社】青淵先生の還暦祝賀として『青淵先生六十年史 一名近世実業発達史』を刊行、青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
7月12日 | 臨時株主総会に於て監査役二名改選の結果阿部市郎兵衛、浮田桂造両氏再選重任 | ||
7月23日 | 大阪紡績株式会社と棉花売買に関する契約を更めて締結 | ||
8月15日 | 列国聯合軍義和団匪を掃ひて北京の重囲を解く | ||
9月10日 | 郡山紡績株式会社と棉花売買に関する契約を締結 | ||
10月11日 | 当社とタタ商会と共同して米国に於て棉花、綿糸、綿布の委託売買を為すの契約を双互に締結 | ||
明治34年(1901) | - | 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月16日 | 臨時株主総会開催、定款改正の件を決議、取締役川邨利兵衛氏来る二月任期満了に付予め選挙を行ひ同氏再選、次で定時株主総会開催、前年五月二日臨時株主総会決議に係る「海外商人と協同して紐育に会社設立の件」は取消に決定 | ||
6月4日 | 大阪撚糸株式会社と綿花売買に関する契約を締結 | ||
7月12日 | 臨時株主総会に於て監査役二名改選の結果阿部市郎兵衛、浮田桂造両氏再選重任 | ||
9月7日 | 支那列国と北清事件最終議定書調印 | ||
明治35年(1902) | - | 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月14日 | 臨時株主総会に於て紐育、上海、天津に支店設置の件及び定款改正の件を決議//右定款改正に依り目的に「綿糸紡績工業」を追加 | ||
1月23日 | 紐育支店を紐育ウィリアム・ストリート二十七号に、上海支店を上海英租界広東路に、天津支店を天津仏租界紫竹林に夫々設置 | ||
1月30日 | 日英同盟条約成立 | ||
3月1日 | 新株式第二回払込(一株に付金七円五拾銭、合計金拾壱万弐千五百円)徴収、四月四日払込結了 | ||
3月18日 | 監査役阿部市郎兵衛氏逝去 | ||
4月19日 | 取締役川邨利兵衛氏商況視察の為め渡支 | ||
6月1日 | 前監査役故阿部市郎兵衛氏遺族に謝状に物品を添へ贈呈 | ||
7月14日 | 臨時株主総会に於て監査役二名選挙の結果浮田桂造、エヌ・デイ・タタ両氏当選就任、紐育支店営業所変更の件及び定款改正の件等を決議//右定款改正に依り目的に「織布工業を甫め輸出入貿易及び為替貸、保険業者の代理店、汽船運送業」等を追加 | ||
7月22日 | 紐育支店は紐育ウオール・ストリート八十二号に移転 | ||
明治36年(1903) | - | 【渋沢栄一】東宮御慶事奉祝会副会長・会計監督。インフルエンザ罹患、喘息を併発。京釜鉄道株式会社理事。日印協会創立・会員(後に会頭)。〔63歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月5日 | 横尾孝之亮氏を支配人に選任 | ||
1月14日 | 臨時株主総会に於て取締役二名改選の結果阿部彦太郎、中野太右衛門両氏再選重任 |