※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治35年(1902) | - | 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月12日 | 日英攻守同盟の発表で各市場の人気わく。 | 業界ならびに内外情勢 | |
3月20日 | (摂津紡績 大和紡績) 摂津紡績は大和紡績を買収合併。(4月14登記、たゞし資本金に変化はない)。 | ニチボー関係 | |
9月5日 | 大日本綿糸紡績同業聯合会は輸出奨励金として印度綿花運賃払戻金の一部充当を決議。 | 業界ならびに内外情勢 | |
10月26日 | (摂津紡績 平野紡績) 摂津紡績は平野紡績を買収合併、増資して資本金1,500,000円となる。(翌36年1月8日登記) | ニチボー関係 | |
10月28日 | 大日本紡績同業聯合会は大日本紡績聯合会と改称。 | 業界ならびに内外情勢 | |
11月7日 | (摂津紡績) 旧平野紡績の商標「立馬」と「平」の専用権を受ける。 | ニチボー関係 | |
12月20日 | (摂津紡績 郡山紡績) 摂津紡績は郡山紡績との間に合併の契約をなす。 | ニチボー関係 | |
12月 | 三井物産は上海で華人紡績を買収して上海紡織有限公司を創立、中国における邦人紡績の最初。 | 業界ならびに内外情勢 | |
明治36年(1903) | - | 【渋沢栄一】東宮御慶事奉祝会副会長・会計監督。インフルエンザ罹患、喘息を併発。京釜鉄道株式会社理事。日印協会創立・会員(後に会頭)。〔63歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月24日 | (摂津紡績 郡山紡績) 摂津紡績は郡山紡績の買収を両社仮契約に基づき総会で決議。 | ニチボー関係 | |
2月7日 | (岸和田紡績 泉州紡績) 岸和田紡績は泉州紡績を買収合併して堺工場と命名、泉州紡績の登録商標「戎」を継承。 | ニチボー関係 | |
2月 | 第5回内国勧業博覧会大阪に開かれる。 | 業界ならびに内外情勢 | |
3月19日 | (摂津紡績 郡山紡績) 郡山紡績代表者は摂津紡績に地元の反対で流血騒ぎとなり合併契約廃棄となったことを陳謝。 | ニチボー関係 | |
4月11日 | (尼崎紡績) 侍従・男爵米田(こめだ)虎雄は勅使として尼崎本社工場に差遣わされる。 | ニチボー関係 | |
4月28日 | (摂津紡績) 侍従・男爵米田虎雄は勅使として木津川本社工場に差遣わされる。 | ニチボー関係 | |
5月2日 | (日本紡績) 侍従・侯爵広幡忠朝は勅使として福島本社工場に差遣わされる。 | ニチボー関係 | |
6月 | (尼崎紡績) 寄宿舎激増にかんがみ銭高善造に寄宿舎増設を請負わせる。 | ニチボー関係 | |
7月1日 | (摂津紡績) 第5回内国勧業博覧会で線糸出品に名誉銀牌をおくられる。 | ニチボー関係 | |
7月1日 | (尼崎紡績) 第5回内国勧業博覧会で線糸出品に1等賞をおくられる。 | ニチボー関係 | |
10月7日 | (尼崎紡績) 小寺源吾入社。 | ニチボー関係 | |
10月15日 | (岸和田紡績) 創立10周年祝典を岸和田本社工場で開く。 | ニチボー関係 |