ニチボー(株)『ニチボー75年史』(1966.02)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治29年(1896) - 【渋沢栄一】日本精糖株式会社創立・取締役。東京興信所創立、評議員。東京銀行集会所会長。東京印刷株式会社設立・相談役。東洋汽船株式会社創業、監査役。東京建物株式会社創立発起人。第一国立銀行が営業満期により株式会社第一銀行となる。引続き頭取。汽車製造合資会社設立・創立委員(後に監査役)。北越石油株式会社創業・相談役。日本勧業銀行設立委員。〔56歳〕【渋沢敬三】父・渋沢篤二、母・敦子の長男として都内深川に生まる。 渋沢関係略年譜
12月17日 鐘淵紡績兵庫工場の建設を契機として中央綿糸紡績同盟会の26社は職工争奪問題にからんで鐘淵紡績と激突。 業界ならびに内外情勢
12月21日 (尼崎紡績) 尼崎紡績株式は大垣米穀株式取引所に上場。 ニチボー関係
- 清国(中国)の綿糸輸入は日本品が英国品を上回る。 業界ならびに内外情勢
- 日本の綿花輸入は印綿が清国(中国)綿を上回る。 業界ならびに内外情勢
- 印度に日本綿糸の輸出はじまる。 業界ならびに内外情勢
明治30年(1897) - 【渋沢栄一】澁澤倉庫部開業、営業主(後に澁澤倉庫株式会社発起人)。日本女子大学校創立委員会計監督(後に校長)。十勝開墾合資会社業務担当社員。広島水力電気株式会社創立、取締役会長。渋沢家洲崎養魚場開設。 〔57歳〕 渋沢関係略年譜
1月9日 (摂津紡績) 菊池恭三取締役に選任される ニチボー関係
1月23日 中央綿糸紡績同盟会と鐘淵紡績の紛争は日本銀行総裁の仲裁で解決し鐘淵紡績は同盟会に加入。 業界ならびに内外情勢
3月17日 (日本紡績) 商標「鳳凰」を登録。「舞鳳凰」・「白鳳凰」・「紫鳳凰」・「金鳳凰」の淵源となる。 ニチボー関係
3月29日 貨幣法発布され日本は金本位制を採ることとなる。 業界ならびに内外情勢
4月3日 (尼崎紡績) 尼崎本社第3工場落成式。 ニチボー関係
4月 銀塊暴落し対清国輸出に悪影響をおよぼす。~5 業界ならびに内外情勢
9月22日 (摂津紡績) 木津川本社第3工場竣工。 ニチボー関係
10月1日 日本の金本位制実施される。 業界ならびに内外情勢
10月20日 (尼崎紡績) 資金難に日本勧業銀行より融資を受ける件を臨時株主総会にはかる。 ニチボー関係
11月25日 (尼崎紡績) 日本勧業銀行より152,000円の融資を受ける。 ニチボー関係
12月 (尼崎紡績) 尼崎本社第3工場全運転、中細糸と撚糸生産の増強成る。 ニチボー関係
- (郡山紡績) 下半期 天野善七社長となる。 ニチボー関係
- 日本の綿糸輸出商は輸入高を上回るに至る。 業界ならびに内外情勢
- 豊田佐吉は木製小幅動力織機を完成。 業界ならびに内外情勢
- 鹿児島紡績所廃業。 業界ならびに内外情勢
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