ニチボー(株)『ニチボー75年史』(1966.02)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治28年(1895) - 【渋沢栄一】東京統計協会終身会員。北越鉄道株式会社創業総会・監査役(後に相談役)。〔55歳〕 渋沢関係略年譜
10月 (摂津紡績) 徳島県・岐阜県・石川県・福井県において職工募集を積極化し近県暮秋は漸次遠隔地募集となる。 ニチボー関係
11月16日 (一宮紡績) 一宮紡績創立、資本金500,000円、社長に森東一郎。 ニチボー関係
11月25日 (大和紡績) 大和紡績設立を出願。 ニチボー関係
11月30日 (日本紡績) 鹿児島県下に職工募集を届出る。 ニチボー関係
明治29年(1896) - 【渋沢栄一】日本精糖株式会社創立・取締役。東京興信所創立、評議員。東京銀行集会所会長。東京印刷株式会社設立・相談役。東洋汽船株式会社創業、監査役。東京建物株式会社創立発起人。第一国立銀行が営業満期により株式会社第一銀行となる。引続き頭取。汽車製造合資会社設立・創立委員(後に監査役)。北越石油株式会社創業・相談役。日本勧業銀行設立委員。〔56歳〕【渋沢敬三】父・渋沢篤二、母・敦子の長男として都内深川に生まる。 渋沢関係略年譜
1月18日 (尼崎紡績) 資本金1,000,000円となる。 ニチボー関係
1月21日 (日本紡績) 福島本社工場操業を開始。60番手・80番手を紡出。 ニチボー関係
1月 (大和紡績) 大和紡績創立、資本金600,000円、社長に阿部周吉、専務取締役に宮内岩次郎。 ニチボー関係
2月26日 富士紡績創立、絹紡兼営をきめる。 業界ならびに内外情勢
3月26日 (尼崎紡績) 取締役兼技師長菊池恭三渡英。 ニチボー関係
4月1日 綿花・羊毛輸入税免税実施。 業界ならびに内外情勢
5月27日 (尼崎紡績) 尼崎本社第1工場の東北側に第3工場地鎮祭。 ニチボー関係
6月1日 (尼崎紡績) 取締役兼技師長菊池恭三はプラット・ブラザーズ会社に尼崎本社第3工場の機械を発注。 ニチボー関係
6月1日 (摂津紡績) 木津川本社第3工場起工。 ニチボー関係
6月 大日本綿糸紡績同業聯合会は水気清国産綿排除規則を制定、全国4ヵ所に水気検査所を設ける。 業界ならびに内外情勢
7月 (日本紡績) 初代播本孝良支配人として入社。 ニチボー関係
8月25日 (摂津紡績) 岐阜県に職工募集事務所を常設。大分県・広島県にも募集を開始し地盤確保に努力。 ニチボー関係
8月 大日本綿糸紡績同業聯合会は常務委員に大阪紡績(委員長)・摂津紡績・平野紡績の3社を選ぶ。 業界ならびに内外情勢
9月16日 (岸和田紡績) 岸和田本社第2工場操業を開始。 ニチボー関係
9月28日 (尼崎紡績) 取締役兼技師長菊池恭三帰国。 ニチボー関係
12月3日 日本毛織創立。 業界ならびに内外情勢
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