(社)日本綿花協会『綿花百年. 下巻』(1969.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
安政2年(1855) - 機械紡績の綿糸、琉球経由で初めてわが国に入る
慶応元年(1865) - 【渋沢栄一】一橋家歩兵取立御用掛を命ぜられ領内を巡廻。〔25歳〕 渋沢関係略年譜
3月22日 薩摩藩、新納久修・五代友厚等を英国に渡航させ、紡績機械をプラット社に注文
慶応3年(1867) - 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 渋沢関係略年譜
5月 薩摩藩によるわが国最初の機械紡績工場、鹿児島紡績所完成
10月14日 将軍徳川慶喜、大政奉還の上表提出
明治3年(1870) - 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 渋沢関係略年譜
4月8日 薩摩藩計画の堺紡績所完成
明治5年(1872) - 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 渋沢関係略年譜
- わが国最初の民営紡績工場、鹿島紡績所完成(東京府滝の川村)
明治9年(1876) - 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 渋沢関係略年譜
7月1日 三井物産会社設立
10月4日 官営富岡製糸工場開業
明治10年(1877) - 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 渋沢関係略年譜
- 臥雲辰知、前年発明したガラ紡機を第1回内国勧業博覧会に出陳
明治11年(1878) - 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 渋沢関係略年譜
4月 政府、2,000錘建紡績機械2組をマンチェスターから購入(官立愛知紡績所および官立広島紡績所)
明治12年(1879) - 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 渋沢関係略年譜
- 政府、綿糸輸入防遏の目的で2,000錘建紡機10基を英国へ注文
明治13年(1880) - 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 渋沢関係略年譜
10月 大阪紡績会社の設立を決定(資本金25万円)
明治15年(1882) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 渋沢関係略年譜
6月 官立広島紡績所、広島綿糸紡績会社に払下げ
10月10日 日本銀行開業
10月 官立愛知紡績所所長・岡田令高の発起により紡績連合会創立。会員数は紡績工場官私立合計で17、紡機は4万1000錘
明治16年(1883) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 渋沢関係略年譜
7月 大阪紡績会社工場完成、試運転(ミュール1万500錘)
明治17年(1884) - 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 渋沢関係略年譜
- 大阪紡績三軒家工場に電灯を設備
明治19年(1886) - 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 渋沢関係略年譜
1月4日 紙幣の正貨兌換を開始
5月 三重紡績会社設立
11月 官立愛知紡績所、民間に払下げ
PAGE TOP