※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
明治25年(1892) | - | 【渋沢栄一】株式会社東京貯蓄銀行創立・取締役(後に取締役会長)。元日本製帽を買収し東京帽子株式会社設立・取締役会長。〔52歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月25日 | 岸和田紡績株式会社設立 | ||
明治26年(1893) | - | 【渋沢栄一】喜賓会創立・幹事長。東京人造肥料株式会社取締役会長。株式会社東京石川島造船所取締役会長。王子製紙株式会社取締役会長。帝国ホテル株式会社取締役会長。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 大阪地方の紡績業者、「中央綿糸紡績同業会」を結成 | ||
5月 | J.N.タタ来日、日印新航路につき渋沢栄一等と協議 | ||
7月8日 | 閣議、条約改正案および交渉方針決定 | ||
10月28日 | 紡績連合会所属の紡績会社、日本郵船およびタタ商会に対するボンベイ綿花積取第1回約定書に調印 | ||
11月7日 | インド綿積取約定により広嶋丸(3,100総トン)、ボンベイに向って神戸港を出港。わが国最初の遠洋航路となる | ||
11月 | 大阪糸・綿・木綿取引所開設(明治27年2月21日開業) | ||
明治27年(1894) | - | 【渋沢栄一】東京瓦斯株式会社取締役会長。東京海上保険株式会社取締役。北越鉄道株式会社創立発起人。札幌麦酒株式会社取締役会長。 | 渋沢関係略年譜 |
7月1日 | 綿糸輸出税撤廃 | ||
8月1日 | 対清国宣戦布告 | ||
明治28年(1895) | - | 【渋沢栄一】東京統計協会終身会員。北越鉄道株式会社創業総会・監査役(後に相談役)。〔55歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月17日 | 日清講和条約調印(下関条約) | ||
- | 大阪地方の23紡績会社、綿花品評会を組織 | ||
明治29年(1896) | - | 【渋沢栄一】日本精糖株式会社創立・取締役。東京興信所創立、評議員。東京銀行集会所会長。東京印刷株式会社設立・相談役。東洋汽船株式会社創業、監査役。東京建物株式会社創立発起人。第一国立銀行が営業満期により株式会社第一銀行となる。引続き頭取。汽車製造合資会社設立・創立委員(後に監査役)。北越石油株式会社創業・相談役。日本勧業銀行設立委員。〔56歳〕【渋沢敬三】父・渋沢篤二、母・敦子の長男として都内深川に生まる。 | 渋沢関係略年譜 |
2月26日 | 富士紡績株式会社設立 | ||
4月1日 | 綿花・羊毛輸入税撤廃 | ||
7月21日 | 日清通商航海条約調印 | ||
- | 政府、ボンベイ航路に対して助成金支給 | ||
- | 清国市場において日本の綿糸輸出量、英国糸を凌駕 | ||
明治30年(1897) | - | 【渋沢栄一】澁澤倉庫部開業、営業主(後に澁澤倉庫株式会社発起人)。日本女子大学校創立委員会計監督(後に校長)。十勝開墾合資会社業務担当社員。広島水力電気株式会社創立、取締役会長。渋沢家洲崎養魚場開設。 〔57歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月29日 | 貨幣法公布(金本位制確立) | ||
4月12日 | 重要輸出品同業組合法公布 | ||
- | 豊田佐吉、木製小巾動力織機を完成 | ||
- | 綿糸の輸出量、初めて輸入量を凌駕す |