王子製紙(株)『王子製紙社史. 合併各社編』(2001.08)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和17年(1942) - 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 渋沢関係略年譜
5月 佐賀板紙(株)に称号変更 佐賀板紙
昭和18年(1943) - 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 渋沢関係略年譜
8月12日 企業整備令により、松本抄紙工業所(白板工場・清水工場)・飯田元結原紙(飯田市)・東横興業(平市)・東製紙(東京都)・双子製紙(川崎市)の5社6工場が合併 東信製紙
9月 陸軍の飛行機製作工場に転用決定 北日本製紙
9月 満州造紙(株)設立。佳木斯(チャムス)への工場新設に着手 北日本製紙
12月 抄紙機2台を満州造紙へ移設 北日本製紙
昭和19年(1944) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 渋沢関係略年譜
2月1日 製紙会社としての業務を終了 北日本製紙
5月10日 王子航空機(株)江別製作所(「愛国101工場」)となる 北日本製紙
6月 木製飛行機キ-106製作開始 北日本製紙
昭和20年(1945) - 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 渋沢関係略年譜
5月 キ-106 1号機完成 北日本製紙
7月15日 空襲により被災 北日本製紙
8月15日 太平洋戦争終結。飛行機生産終了 北日本製紙
10月 クラフト紙年産3万トン計画による会社再建案を発表 北日本製紙
12月26日 中村愛作、社長に就任 日本パルプ工業
昭和21年(1946) - 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 渋沢関係略年譜
1月11日 GHQ、王子製紙を制限会社に指定。王子製紙による江別製作所でのクラフト紙生産は不可能に 北日本製紙
1月11日 制限会社に指定され、王子製紙から独立 日本パルプ工業
1月20日 商工省、江別製作所を賠償工場に指定 北日本製紙
2月5日 王子製紙江別出張所労働組合、結成される 北日本製紙
2月 本社を丸の内に移転 日本パルプ工業
3月 88インチ長網抄紙機稼動 日本パルプ工業
8月 特別経理会社に指定される 日本パルプ工業
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