※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
昭和16年(1941) | - | 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 高田工場長本社に転じ、光沢義男工場長事務取扱となる | 苫小牧工場概略年表 | |
昭和20年(1945) | - | 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 | 渋沢関係略年譜 |
7月14日 | 米軍機の空襲受け工場数カ所に被害。製材倉庫とその中の巻取800本全焼(翌15日にも空襲) | 苫小牧工場概略年表 | |
7月31日 | 潜水艦による艦砲射撃。機械類に僅少の被害 | 苫小牧工場概略年表 | |
8月 | 王子製紙労働組合連合会結成 | 苫小牧工場概略年表 | |
8月 | 引揚復員対策委員会設置 | 苫小牧工場概略年表 | |
昭和21年(1946) | - | 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 平均日産19万3,700ポンド(約88t)を最低とし、2月度より逐月回復に向かう | 苫小牧工場概略年表 | |
2月10日 | 王子製紙苫小牧工場労働組合結成 | 苫小牧工場概略年表 | |
11月 | 旭町(現末広町)の旧軍飛行場に旭農場を開設 | 苫小牧工場概略年表 | |
12月 | 江田信二郎(元十条工場長)着任 | 苫小牧工場概略年表 | |
昭和22年(1947) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』670号を復刊する。 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 燃料不足対策及び余剰電力活用のため電気ボイラー(2,000kw)5缶設置(29年11月まで稼働、31年12月撤去) | 苫小牧工場概略年表 | |
8月1日 | 王子私設消防が苫小牧町警防団第2分団に編入 | 苫小牧工場概略年表 | |
昭和23年(1948) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』677号をもって廃刊する。 | 渋沢関係略年譜 |
12月 | アルコール工場完成 | 苫小牧工場概略年表 | |
昭和24年(1949) | - | 【竜門社】政府より曖依村荘が無償返還されることになる。財団法人社会教育協会に依頼して、機関誌『竜門雑誌』を継承する機関誌『青淵』を創刊する。曖依村荘全敷地の約3分の2を売却する。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 西部社宅226戸竣工(12月に従業員社宅100戸完成、戦後累計199棟466戸) | 苫小牧工場概略年表 | |
3月 | 1号マガジン・グラインダーにアランダム・ストーン採用(昭和26年2月までに8台完了) | 苫小牧工場概略年表 | |
5月 | ポケット・グラインダーに初めてアランダム・ストーン採用(以下逐年更改) | 苫小牧工場概略年表 | |
8月1日 | 過度経済力集中排除法により王子製紙株式会社解体し、苫小牧製紙株式会社(資本金4億円)として発足。初代社長・中島慶次 | 苫小牧工場概略年表 | |
8月1日 | 苫小牧製紙工場構内に従業員専用の保育所を設置 | 苫小牧工場概略年表 | |
9月 | 2号抄紙機復旧(稼働計9台) | 苫小牧工場概略年表 | |
12月19日 | 製紙記念館落成 | 苫小牧工場概略年表 | |
昭和25年(1950) | - | 【渋沢敬三】ユニバーサル広告社社員(~1951年)。 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 軟式野球を中心に苫小牧工場硬式野球部創立(社会人野球) | 苫小牧工場概略年表 |